茅ヶ崎から見る海の景色2007/10/20 06:27

 毎朝、<小人閑居日記>のブログを書き込んだ後、いくつかのブログを覗い てみる。 その中の一つに、新聞で知った写真家・高橋昭和さんの「茅ヶ崎熱 血情報」というのがある。 その日の湘南「茅ヶ崎」海岸を撮影した写真を見 ることができるからだ。 http://members.jcom.home.ne.jp/nekketu/

 昨19日の朝は「今朝19日撮影 茅ヶ崎から見える日の出。秋の雲が演出。」 という大きな写真がトップで、江ノ島の左手、鎌倉から逗子にかけての三浦半 島あたりに、朝日が昇っているところだった。 「連続撮影2,191日、世界記 録・更新中」だそうだ。 私は東京にいながらにして、毎朝、その日の湘南海 岸の波や雲の様子、烏帽子岩や、友人が住んでいる大磯から富士山への景色を 眺めることができるのだ。

 亡くなった城山三郎さんの『仕事と人生』(角川書店)という本を読んでいる。  城山三郎さんは、茅ヶ崎にお住いだった。 仕事場にしていた高層マンション のデスクからも、光っている相模湾が見えたという。 その海は、実は昭和20 年、少年兵だった城山さんの最期の地となる筈の場所だった。 城山さんが自 ら志願し「七つボタンの練習生」として入隊した海軍で、配属されたのは油壺 を根拠地とする(のちに知ったことだが)水中特攻部隊「伏龍」だった。 配 置場所は湘南海岸、一帯が遠浅の海岸で、しかも東京に近い、戦争末期、ここ は東京を目指す米軍の最高の上陸地点だと考えられていた。 もはや艦船もな いので、竹の棒の先に爆薬を取りつけ、少年兵を海底縦横50メートルに展開 (前後90メートルという記述もある)待機させて、上陸してくる米軍艦船の 船底に穴を開けてやろうという作戦だった。

 50年ほど前、茅ヶ崎に土地探しに来た城山さんは、砂浜に奇妙な建造物があ るのを見つけた。 小さな掲示板があり、特攻の基地うんぬんと記してあった。  そして、瀬口晴義著『人間魚雷「伏龍」特攻隊』(講談社)を読んで、初めて事 実を、当時の自分の運命を知った。 心の中に怒りと嘆きなど燃え上がるもの があって、それまでのように、海をおだやかに眺める気分は、吹き飛んでしま った、と書いている。