「西川先生最後の一年」と私2010/08/04 07:10

 石部祥子さんの「西川先生最後の一年」を聴いて、わかったのだが、この大 変な一年に、私はそんな先生にいろいろご負担をかけていたのだった。 昨年 5月の時点で、7月4日の「等々力短信千号の会」のアンケートに、出席とメ ッセージを寄せていただける旨のご返事を頂戴していた。 5月30日の福澤諭 吉協会の土曜セミナーでお会いして、お礼を言うと、酸素ボンベを指して、体 調次第でというお話だった。 6月14日、小尾ゼミOB会の紫陽花ゼミで清家 新塾長の講演を聴いた時も、小尾先生の奥様に西川先生も出て下さるそうでと、 報告した。 21日、石部祥子さんから初めてメールが来て、先生は入院中だが、 本を一冊私の「大宮の自宅」宛に送りたいとおっしゃっているので、住所を知 らせてくれないかという。 不思議に思って問い合わせ、「馬場宏二先生」の間 違いとわかったが、ご入院中と判明したので、あらためて石部さんにお訊きし て、7月4日の会は残念ながら欠席ということになった。 別に、幹事役のと ころへ、お祝いの為替証書を頂戴して、恐縮したことであった。

 ご退院後、8月1日付のお手紙を頂いた。 「医者のくれた病名は、急性心 不全とかで先月半ばまで四十日間ほど入院しておりました。帰宅して二週間余 経ちましたが、もっぱら屋内で、ぶらぶらしております。」 私のお送りした等々 力短信のリスト「1000号の歩み」、メッセージ集「千号によせて」を読んで下 さり、なんと「なにも出来ずでは申し訳なく、「1000号の歩み」を拝見し、福 沢がらみの短信の数をかぞえてみましたら、47点になりました。しかし、カウ ントするか否か迷ったものもありますので、約5%がそうであったことになり ます。随分沢山になり、驚いています。小尾先生のお耳に入れたら、どんな憎 まれ口を仰言ったでしょうか?」と、先生らしく数をかぞえてくださったので あった。 驚いた私も、数えてみたら、117点もあって10%を超え、西川先生 の点が辛いことと、自分は自身に甘いことがわかり、その旨の礼状を書いた。

 今年1月、「300枚印刷のうち100枚ほど投函」されたという年賀状、私も 添え書きのある一枚を頂戴していた。 それなのに、2月4日の慶應義塾から の新聞発表を見落していたのだ。