「遥かなり草軽電気鉄道」2010/08/19 06:55

「秋風とともに消える高原鉄道」

 宮川幸雄さんが、ご自身のエッセイ「愉しきかな信越本線」の載った同人誌 『うらら』第58号を(第59号も)送って下さった。 さっそく、拝読。 高 崎駅から長野駅を経由して新潟駅に至る、かつての国鉄時代の信越本線は今、 ズタズタになっていることを知る。 平成9年の長野新幹線の開通で、現在の 信越本線は、高崎駅を出ると横川駅で行き止まり、JRバス関東に乗り換え、碓 井峠を越えて軽井沢駅へ。 軽井沢駅から篠ノ井駅までは第三セクターの「し なの鉄道」。 次の北陸新幹線が開通すると、更にズタズタは加速して、長野・ 直江津間も第三セクターになり、信越本線の本体の線路は、高崎~横川、篠ノ 井~長野、直江津~新潟に三分割されてしまう、という。

 「愉しきかな信越本線」の最後に、「遥かなり草軽電気鉄道」なる一章があり、 新軽井沢と草津温泉を結んでいたこの高原鉄道に、昭和34(1959)年夏、中 等部3年生の宮川さんが初めて乗った話が出て来る。 この夏に乗っていなけ れば、宮川さんは草軽電鉄に乗る機会を失していたことになる。 私もその二 年前に乗っていたので、お礼のメールに、こう書いた。 「草軽電気鉄道は高校一年の夏(昭和32年8月)、友達とその知人の北軽井沢 の別荘へ行くので乗りました。 アルバムに、ススキの高原を行く草軽電鉄の 写真がある「秋風とともに消える高原鉄道」という昭和34年9月13日の読売 新聞の記事がはさんでありました。 10月に軽井沢―上州三原間37.9キロが 廃止されること、軽井沢から草津まで55.5キロを、3時間40分、自転車より 遅いと書いてあります。」