「下から」の近代化のすすめ2011/11/15 04:31

明治の変革は、西欧のパターンによる近代化への試みであった。 日本はこ れに成功し、中国は失敗する。 文明化への二つの道がある。 「上からの道」 と「下からの道」。 正田庄次郎さんは、当時の日本の近代化は、「上からの道」 以外に、実現の条件はなかったと考える。 変革の政治過程が、旧時代の支配 階級内部の争いとして展開し、造反する社会諸勢力の結節点とも、指導力とも なりうる階級は、現実に、旧支配層たる中・下級武士層を除いて存在しなかっ た事実は、これを鋭くしめしている。 そうした「時代の制約」のワクぐみの 中で、特異な形で展開された日本の近代化の二つの道の解明が重要だと、正田 さんは指摘する。

そして、『文明論之概略』は「下からの道」による近代化のすすめ、であった と考える。 福沢は、文明には外にあらわれる事物と、内に存する精神の二つ があり、外の文明は取るに易く、内の文明は求めるに難し、という。 「外の 文明」とは、衣服、飲食、器械、住居から政令、法律、制度等、耳目をもって 見聞できるもの。 「内の文明」(=文明の精神)とは、「人民の気風」、時につ いていえば時勢、人についていえば人心、国についていえば国論、総じて「一 国の人心風俗」である。

正田庄次郎さんは書く、「長い間の権力の偏重、専制の気風のなかで育まれた、 日本人の「惑溺」のふかさ、独立心の欠如を、福沢は絶望的なまでに感じてい た。このように、日本人とその社会を内部から深くおかしている前近代的精神 との鋭い闘いをのぞいて、かれにとって近代はありえなかった。」 「「物」(「外 の文明」)に負けず、その基盤となった、人類の普遍的価値をふくむ近代精神を、 より根源的なものとして摂取しようとする強じんな精神、これこそ、時代をひ らき、歴史をつくる「明治の時代の精神」と呼ぶにふさわしいものであった。 /現代日本の、精神の衰弱を痛感せざるをえない。/西欧型近代化への道を、 このようにラジカルに――思想的にみて――提起する福沢の姿勢を、私は、日 本における「下からの道」だと考えている。/日本の近代化の悲劇は、こうし た「下からの道」が、そらされ、挫折させられて、「外にあらわれる事物」をま ねる近代化(「上からの道」)に圧倒されたことにある。」

「福沢のかかげた思想課題は、本質的には未解決のまま、現代にのめりこん でいることを、あらためて考える必要がある。」