「蔵造りの街並み」で2011/11/22 04:20

 岩崎昭九郎さんのお宅の後、「蔵造りの街並み」で一時間ほどの自由時間にな った。 私はまず近くの「川越まつり会館」へ行った。 大型スクリーンで、 川越まつりの様子を見た後、展示されている本物の山車二台を見ながら説明を 聞いた。 俳誌『夏潮』5月号の「季題ばなし」に「祭」を書かせてもらった。  江戸の「神田祭」「山王祭」は、将軍もご覧になるので「天下祭」と呼ばれてい た。 今は神輿中心だが、京都の祇園祭の影響を受け、華美な山車を町々が競 った。 明治になって、電線が架設されてからは、丈の高い高欄のついた山車 の巡行が出来なくなっていく。 川越には、その山車が残っていた。 江戸時 代のものも、二台あるとか。 人形の乗る高欄を下げることの出来る仕掛けは、 江戸城の城門をくぐるための職人の工夫が端緒だと、解説があった。

 前に胡麻ドレッシングを頂いて美味しかった「金笛」笛木醤油の店に寄る。  たまり漬や、醤油のかかったこわれ煎餅等を買う。 このこわれ煎、けっこう な味で、「神田鍛冶町の角の乾物屋で勝栗買ったら固くて噛めない、かかあにや ったら」ではないが、家内がカリカリ噛んじゃった。

仲町角、天明3年創業の菓子の老舗亀屋の、亀屋美術館で集合する。 山崎 嘉正社長は、川越商工会議所副会頭、志木高の後輩で松崎欣一先生の教え子、 同窓会志木会の事務局長で、この日も熊谷で志木高のラグビーの試合を応援し て来たという。 準決勝、正智深谷に前半リードしながら惜敗した、と。 川 越は明治26(1893)年の大火で、町の三分の一を焼失した。 今も残る「大沢家 住宅」が蔵造りだったため、火元近くでも焼け残ったのを教訓に、黒漆喰の蔵 造り、観音開きの重厚な窓、火災時のシャッター状の「下ろし戸」「目塗り台」 「目塗り土の桶」などを備えた「街並み」が出来た。 落語「味噌蔵」を思う。  橋本雅芳を主とする亀屋さんの美術館も、工場や砂糖倉庫だったという三棟の 土蔵である。 山崎社長ご夫妻に、井戸のある休憩所でお茶とお菓子のご接待 を頂き、全員お土産まで頂戴した。

西武新宿線の往復、行きは金沢から参加の大窪さんと国立小劇場の落語研究 会と上方落語の話をし、帰りは私のブログを毎朝読んでくれ「時事新報」なら ぬ「馬場新報」とおっしゃる黒田さんと『福翁自伝』について話すことが出来 たのは、楽しかった。 見学会全般の企画を担当された“埼玉県民”松崎欣一常務理事のおかげで、 有益な一日となった。