平塚市美術館の三岸節子展2005/08/01 09:34

 7月29日、湘南へ小さな旅をした。 まず第一の目的は平塚市美術館の三岸 節子展(9月11日まで)だった。 先に日本橋三越で生誕100年記念展が開かれ た時、平塚へ巡回することを知った。 デパートの混む中で見るよりも、あそ こで見ようと、夫婦の意見が一致したのだった。 というのは、10年ほど前の 菅野(すがの)圭介展を見に行ったことがあって、気に入った美術館だったから だ。(1995.10.15.「等々力短信」721号「海の色にひかれて」)   三岸節子は、 戦後の五年ほど、その菅野圭介と別居結婚をしていたのも、なにか縁がある。

 一度ふるさとの愛知県一宮市にある美術館にも行ってみたいと思っていた三 岸節子の、画業の全容を概観することができた。 やはり63歳で渡仏して、 あちらに居を構えてからの、とくにヴェネツィアの小運河、赤い屋根に石の壁 の建物などの作品に素晴しいものがある。 ただ、湘南の陽光の中で見るせい なのか、三岸の絵には暗い面があるのを知った。 赤や黄など原色に近い色を 使った画面からも、なぜか暗い情念のようなものが立ち昇る。 一宮で裕福な 毛織物会社の経営者の娘として生れた節子が、先天的な股関節脱臼を持って育 ち、父の会社の倒産にあって、自分は絵によって名を挙げようと考えたという。  館内の紹介ビデオで、一宮の父の工場跡地に建てられたという記念美術館が、 工場のギザキザ屋根を模したデザインになっていたのが、印象的だった。

 1954(昭和29)年、49歳で初めて渡仏、南仏カーニュで体験した地中海の光 によって、日本人が油絵を描く困難さを改めて自覚したという。 帰国後、軽 井沢のアトリエで《飛ぶ鳥(火の山にて)》1962などの連作に取り組み、厚塗り の新たな画風を生んだ。 この作品、平塚市美術館が何点か所蔵している鳥海 青児を思わせるものだったのも、平塚でなければ気がつかなかったかもしれな い。