福沢の『帝室論』と『尊王論』2005/08/31 08:03

 『岩波 天皇・皇室辞典』の「福沢諭吉」(金井隆典)は、当然『帝室論』(1882) と『尊王論』(1888)を取り上げ、福沢が「天皇を政治の場から切り離し、独立 した不偏不党の立場に置くように主張した」ことを書いている。 「日本はよ うやく近代化の道を歩み始めたばかりであり、数百年来に及ぶ君臣情誼の気風 に馴染んでいる。西洋のように人心収攬のための宗教も存在せず、「多数主義」 の伝統もない。「一個大人(たいじん)の指示に従て進退する」(『尊王論』)「大 人主義」と「多数主義」のあいだにある日本において、福沢は文明化の機能の 一端を天皇・皇室の尊厳・神聖性に求めざるを得なかったのである」とする。

 『帝室論』については、「等々力短信」ハガキ時代の257号と、479号「万 年の春」485号「文化の護り」に書いている。 「我が帝室は日本人民の精神 を収攬するの中心なり」「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば、悠然 として和気を催ふす可し」を引いて、福沢は新憲法の象徴天皇のようなことを 考えており、維新後の激変の中、滅亡の危機にさらされている日本固有の諸芸 術・技能の保護(パトロン)の役割を帝室に期待したことにふれた。

 『岩波 天皇・皇室辞典』の「福沢諭吉」では、天皇・皇室が政治の局外に あり、不偏不党の立場に立つことによって、「軍人の精神を収攬することができ、 かつ、軍人を政治から切り離し、政争に参入することを防ぎ得るのである」と いう福沢の主張にもふれている。 その後の日本の歴史をみれば、残念ながら、 軍人によって天皇・皇室が政治の局内に巻き込まれ、戦争への道を歩んでしま ったのだった。