建築家の転向と抵抗、丹下健三と前川國男 ― 2007/02/24 07:11

『満洲國の黄金の都市―幻影の王道楽土―』は、牧田正巳という建築家の戦 後の文化勲章受賞祝賀会から始まる。 演出の木内稔さんと、建築ジャーナリ ストの宮内嘉久さんの対談(友人が送ってくれたコピー、姉妹誌が『社会評論』 だという出版物のそれ。ネットで調べると、スペース伽耶(星雲社)というと ころが出しているらしい)によって、今日の日記を書く。 牧田正巳のモデル は、牧野正巳という建築家だそうだ。 牧田正巳は、ル・コルビュジェのアト リエから帰国して、国粋的な建築様式が大流行していることに愕然とし、それ を批判した評論活動をする。 新興建築家連盟の運動にも参加するが、運動は 挫折する。 そして先輩の桑野英治に誘われて、首都建設のために満州国へ渡 る。 満州ではたちまち転向、中国の伝統的な建築様式と近代的な建築様式と を統合した「帝冠様式」のような建築に変わる。 戦後はそのグロテスクな変 貌を恥じることもなく、文化勲章を受けた、として描かれる。
対談で『前川國男-賊軍の将』(晶文社)の著者である宮内嘉久さんは、丹下 健三(牧野正巳、佐野利器、岸田日出刀)と、前川國男を対比する。 丹下健 三は、最初はル・コルビュジェに心酔して建築家の道を選んだのに、すぐに神 がかった日本主義にさっと転向して大東亜建設記念のコンペ作品でデビューし、 三年たらずで戦後を迎えると、広島の平和記念計画で今度はル・コルビュジェ 的な近代建築で、一躍戦後のチャンピオンにのしあがる。 それに対し、前川 國男はル・コルビュジェのアトリエでの二年間を経て帰国した翌年の1931(昭 和6)年の東京帝室博物館(現・東京国立博物館)のコンペに落選覚悟のプロ ジェクトを提出して建築家としてデビューする。 日本的とか東洋的とかいっ た意匠を着せるコンペのあり方自体に異議申し立てをし、近代の人民が観るべ きミュージアムを提案した。 落選直後に雑誌『国際建築』に応募作品と「負 ければ賊軍」という一文を発表し、同世代の若い建築家に負けてもいいから、 現状打破に立ち上がろうではないか、と呼びかける。 宮内さんは、丹下健三 がくるくると変っていったのと違い、前川國男は晩年までピープルのための本 物の建築を求め続けた、という。
コメント
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_ Je pense, donc je suis. - 2007/04/19 02:59
前川國男
東京都八重洲
1952年
(2007年4月8日撮影)
呉服橋交差点にある、1952年に竣工、翌53年の建築学会賞を受賞した前川國男の代表的オフィス建築ですが、いよ
_ 宇波彰現代哲学研究所 - 2007/11/20 16:48
先日、新宿の東口のあたりを歩いていると、カナダ人だという中年のカップルに東京都庁舎への道を尋ねられた。彼らは「丹下健三の作品を見に来た」といって��...
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