和歌と並ぶ芸術の域に達す2008/07/19 08:07

 貞享(じょうきょう)元(1684)年41歳の芭蕉は、西国への旅に出る。 十 七文字で本当に表現すべきことがあるのではないか、『俳諧』と自分をさぐるた めの旅だった。 その旅は『野ざらし紀行』として結実する。 〈野ざらしを 心に風のしむ身哉〉 「野ざらし」は、しゃれこうべのこと、行き倒れ覚悟の 旅であった。 〈猿を聞人(きくひと)捨て子に秋の風いかに〉 「猿を聞人」 は、中国の古典で詩人をさす決まり文句。 見たままの句を詠む。 〈道のべ の木槿は馬にくはれけり〉 〈明ぼのやしら魚しろきこと一寸〉 〈年暮ぬ笠 きて草鞋はきながら〉 〈山路来て何やらゆかしすみれ草(ぐさ)〉

 目の前の情景を、飾ることなく、ありのままに描く。 そのようにして、初 めて表現できるものがある。 それは、みずから感じたそのもの、心の世界だ と、芭蕉は気付いた。

 貞享3(1686)年春、芭蕉は門弟たちを深川の庵に集め、「古池や」の句を下 の七五から詠んだ。 「蛙飛こむ水のおと」 古典では蛙は鳴くものと、決ま っていた。 それが飛ぶ蛙を詠んだ。 十二文字で、自らの心を描いたのだ。  つづいて上の五文字。 弟子の一人が「山吹」ではないかと、進言した。 「古 池や」、飾らない平明な言葉で、無限の解釈(滑稽、躍動、枯淡などなど)を可 能にした十七文字、それは心の世界を描く境地であった。 蕉風の誕生である。

言葉を出来るだけ削ぎ落とし、簡潔にして、伝えようとする。 「謂ひおほ せて何かある」言い尽くして、何の意味がある。 「古池や」と切る、切れ字 によって、間を取ることで、心の世界が広がる余地ができる。 鑑賞者は想像 力を働かせて(自分も参加して)共に間を作り上げていくことが必要になる。 

『俳諧』は「古池や」の句の誕生によって、和歌と並ぶ芸術の域に達した。  江戸の人達は自分達が新しい文化の担い手になれる自信を持った。 それは、 新興都市江戸を象徴する事件でもあった、と長谷川櫂さんは語った。