銀座の表裏を毎日歩いていた2008/07/23 07:23

 昭和39年8月、私の入った銀行は合併され、最初の交流人事で丸の内の本 店に異動になった。 まり千代さんと話していた支店長(学校の先輩だった) に連れられ、丸ノ内線に乗って本店に挨拶に行った時のことを、数寄屋橋の地 下鉄の階段に行くたびに思い出す。 だから、銀座支店にいたのはたった4か 月だったが、集金かばんを提げて、銀座の表裏を歩き回った日々は鮮烈な印象 を残した。 秋には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開業した年で ある。 この夏、みゆき通りに「みゆき族」というのが出現した。 女の子は、 白い長袖のブラウスに、うしろで結んだ紐をだらりと垂らしたロングスカート、 男の子は、アイビー調の半袖のシャツに脛までの半ズボンで、一様にバカでか い麻袋か、VAN紙袋を抱えていた。

 新人にまかされた毎日の集金先は、今はなくなった高級洋品のフジヤ・マツ ムラさんから、有楽町新橋間のガード下、お札を数えると独特の臭いがするヤ キトリ屋さんまで、いろいろあった。 当然、現在も盛んにやっておられる老 舗が何軒かある。 先輩のお供で、頭取のお祝いの品というのをバー・エスポ ワールの川辺るみ子ママの所に届けに行ったこともあった。 銀座に細かい路 地が沢山あることも憶えた。 支店に帰ろうとすると、お茶か買い物に出かけ るのだろう、同僚の女性たちが連れ立って歩いて来るのとすれちがった。 そ の一人の笑顔が、なぜか目に焼きついている(ここまで書いたら、突然パソコ ンがフリーズした)。 23歳になったばかりの夏だった。