扇遊の「三年目」 ― 2008/07/06 08:02
扇遊の「三年目」は、ネタおろし(初演)だそうだ。 そういわれてみれば、 「三年目」を演る人はあまりいない。 近年の落語研究会でも、正雀が「あた ま山」をやった2002年に、ふた月遅れて志ん橋がかけているだけのようだ。 怪談噺だから、扇遊も陰と陽の話から入った。 幽霊はなぜか、東京の言葉で 出る。 大阪弁だと、こわくないし、可愛らしい。 累(かさね)も下総の言 葉だと「ウラメシイゾ、……コノ、ケツベタヤロウ」と、やってみせた。
「三年目」は、もう薬を飲んでも無駄だと、6人目の医者にも見放されたの を聞いてしまった女房に、旦那は、もう金輪際女房は持たない、生涯一人で過 す、周りからいわれて万一後妻を持つようなことになったら、婚礼の晩に幽霊 になって出ておいで、後妻も逃げ出すだろうから、待っているからお出なさい、 八ツの鐘を合図に、と約束する。 女房が死んで百か日にもならない内に、周 りにいわれて、後妻をもらうことになる。 だが婚礼の晩、八ツまでお互い気 まずい思いをしながら待っていたが、幽霊は出なかった。 二日目、三日目、 五日、十日、二十日たっても、出ない。 その内、ご懐妊となって、玉のよう な男の子が生まれた。
三年目、先妻の法事を済ませた真夜中時分、死ぬ者貧乏だ、思えば可哀相な ことをしたなどと考えていると、生温かい風が吹いてきて、背筋がぞくぞくっ とした。 出た。 なんで今時分出て来るんだ。 百か日にもならない内に、 お嫁さんをもらって、赤さんまでつくるなんて、お約束が違います。 私が死 んだ時、ご親戚の方が寄ってたかって、私を坊さんにした。 毛が伸びるまで、 待ってました。
扇遊の「三年目」初演、十分に聴かせて、まずまずの出来だったのではない か。
三田完さんの『乾杯屋』 ― 2008/07/07 06:30
言わずと知れたことだが、閑居しているから、世間に疎くなる。 その井戸 の中から世間を覗くのに、恰好の本が手に入った。 去年の5月に「等々力短 信」の「「俳句のすすめ」小説」で、『俳風三麗花』(文藝春秋)を紹介した三田 完さんの『乾杯屋』(文藝春秋)である。 あの時は、ほんのちょっとのところ で、直木賞を逃し、作家はもちろんだろうが、短信での予言が的中しそうにな った私まで、ひどくがっかりしたものだった。
『乾杯屋』は六篇の短篇小説から成っている。 表題作の主人公は、定年間 近、窓際のスポーツ新聞記者、芸能業界のパーティーで乾杯の音頭をとる権利 を、退職金をはたいて買うことになった。 鎌倉極楽寺に住む誰もが知ってい る老男優に英語の家庭教師を頼まれた大学院生が、巨匠と女優の壮絶な確執を 知ることになる「授業」。 美容師が20歳の時、アルバイトのホテトル嬢とし て出会ったのは葬儀社の会長、その愛人となって、いま担当しているのはYセ クション、死体を清めて、美しくする湯灌(Y)の現場、そして会長が死ぬ「メ イクアップ」。 どうです、この三つだけでも、世間があるでしょう。 あと三 篇にも、もちろん、生々しい世間が…。
「女王様」の万能薬 ― 2008/07/08 06:57
三田完さんの『乾杯屋』に「女王の食卓」という一篇がある。 大学生だっ た中島リエが自ら作詞作曲した歌で一躍スターになったのは、20年前だった。 彼女の曲はつぎつぎとトレンディ・ドラマの主題歌に使われ、ヒットチャート の上位を占めた。 シンガーソングライターとして不動の地位を築いたリエは デビュー三年目に、ミュージシャンで彼女の音楽プロデューサーでもあった西 条寺徳幾(のりちか)と結婚し、以来、徳幾はリエの所属事務所の社長をつと めている。 年に一度発売するCDは必ずミリオンセラーとなり、コンサート のチケットは30分で売り切れる。 今や西条寺リエはスーパースター、業界 では彼女のことを「女王様」と呼んでいる。
私は世間に疎い上に、音痴だから、この小説にモデルがあるかどうかはわか らない。 でも何となく、モデルがありそうで、名前も思い浮かぶから、その ミーハー的興味も手伝って、三田完さんの小説世界に引き込まれてしまった。
リハーサルの冒頭、ミュージシャンたちの演奏が気に入らず、憮然とした表 情で、溜め息をついた「女王様」がスツールに座り込む。 スタジオの誰もが 「女王様」と目が合うのを恐れ、沈黙する。 レコード会社から西条寺オフィ スに出向し、西条寺リエのマネージャーとなった野村暎子の主な仕事は、メリ ー・インのテリヤキ・チキン・バーガーを買いに走ることだった。 西条寺リ エの機嫌が悪い時、テリヤキ・チキン・バーガーは万能の物体だった。
お金はいくらでもあり、グルメの極致かと思われる「女王様」の、この落差 が可笑しい。 テリヤキ・チキン・バーガー一件も、西条寺徳幾がすけべなの は、京都の公家の出なので、生まれながらにして女あしらいの天才だというの も、真っ当な話なのかと、つい思わされてしまう。 三田完さんの筆の先に、 あやつられて…。
本好きに教わった本 ― 2008/07/09 07:13
「読書という快楽へと誘う 本好きからの手紙が届く」と帯にある丸谷才一 さんの『蝶々は誰からの手紙』(マガジンハウス)に「本好き共同体」という言 葉が出てくる。 ある本を読んだ人が、その本のことを友達に話し、それを聞 いた相手もまた、すぐに読んでその感想を友達に話す、というふうになってゆ く。 本を読むしあわせと本について語る喜びが掛算のように広がってゆく。 こういう「本好き共同体」によって、われわれの文化は堅固に、そしていきい きと保たれるのである、と丸谷さんはいう。 そこでは、頼りになる目利き、 書評の名手の存在が重要になる。
5月に句会で三田完さんとご一緒し、句会後に一杯やっていた時、「馬場さん の好きそうな本」というのを教えてもらった。 岩下尚文(ひさふみ)さんと いう新橋演舞場にいた若い方(昭和36(1961)年生)が書いた『見出された 恋 「金閣寺」への船出』と『芸者論 神々に扮することを忘れた日本人』の二 冊で、ともに雄山閣から刊行されている。 『見出された恋』の帯には、こう ある。 「この小説は、若き日の三島由紀夫の恋を描いたものであるが、女嫌 いと噂され、悲惨な死を遂げた三島にかかる恋があったとすれば、まことにめ でたいことである。 哲学者 梅原猛」
慶應女子高の一期生 ― 2008/07/10 05:50
岩下尚文さんの小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)で、三 島由紀夫の恋の相手になる満佐子は、昭和25(1950)年4月慶應義塾女子高 校に一期生として入学、28(1953)年3月に卒業している。 池田弥三郎さん は、大学国文の教員と兼ねて、女子高でも銀座っ子を看板の結城の着流しで教 壇に立ち、万葉古今の歌を引きつつ、師匠折口信夫譲りの民俗学も惜しげもな く講ずる一方、課外ともなれば銀座に出て、教え子である満佐子たちと小川軒 や煉瓦屋で待ち合わせて歓談したり、たまには一緒に歌舞伎座や映画館に出掛 けるなど、じつに大らかな師弟の交わりを楽しんでいた。 池田先生の肝煎り で生徒たちが演劇をやることになり、新歌舞伎の『修善寺物語』(池田弥三郎・ 戸板康二の監修)と翻訳劇『タンタジールの死』を塾監局で上演した。 打上 げでは、満佐子が自家(赤坂の料亭、梨園の縁戚)の板前に命じて河岸から山 ほどの車海老(さいまき)を校舎に届けさせ、「清崎某」という若い教師が不器 用な手付きで揚げていた、という。
満佐子としては、共学となった大学の国文科に進むつもりだったが、「女に学 問が要るものか、第一器量に障るじゃないか、お止しよー」と、進学を思い留 まらせたのも、池田先生だった、そうだ。
女子高を出た19歳、日髪を贅沢とは知らず、毎朝歯を磨くような気で、銀 座まで髪結に通うほかは、花鋏茶帛の稽古も気分次第、何と言って決まった用 はなく、そのくせ派手な気性は外出(そとで)を好み、今日も歌舞伎(しばい) を見物するとあって、朝から身拵えに余念がない。 紐だけでも、久のやと道 明が競って届けるものが、桑の帯留箪笥の引き出しに、つねに百筋余りが整然 と敷き並べられている。 そして出かけた歌舞伎座の成駒屋(うたえもん)の 楽屋で、運命の三島由紀夫と擦れ違うことになる。
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