左龍の「百川」2009/11/04 07:19

 左龍、両方のホッペタがふくらんで、失礼ながらブルドックのような顔をし ている。 「百川」は日本橋浮世小路の料理屋、ペリー一行に一千両の料理を ととのえたと話したのはよかったが、「四神旗」を官軍の幟旗(錦の御旗)のよ うなもので、神輿の先(四隅かも?)に持って歩く、それに剣がついて「四神 剣」(これは『広辞苑』の「四神旗」の図を見ると納得する)、さらに青龍・白 虎・朱雀・玄武を説明したのは、余計だったのではないか。 とりわけ落語研 究会では。 この話、官軍より前のような気もするし…。

 左龍の柄、「ウッヒャッ」という田舎者の百兵衛には合っているのだが、威勢 のいい魚河岸の若い衆の、ぽんぽん言うところにはまことに不向きだった。 つ い團菊爺となって、円生や志ん朝の「百川」と比べてしまうのは、左龍にちと 気の毒かもしれぬが…。 ものの本を見たら、「百川」の固有名詞が出ていたの で、心覚えに書いておく。 長谷川町(今の中央区日本橋堀留2丁目のうち、 元吉原の北隣の町で、古くは禰宜町といったが、吉原が千束に移ってから長谷 川町になった)の三光新道(神道と書くのは発音からの誤りだそうだ)、常磐津 の師匠・亀文字、医者・鴨地道哲。