ルノワールの土地勘2010/02/02 06:40

 『ルノワール~伝統と革新』展の「ルノワールへの旅」に出て来る地名の話 を少し…。 ピェール=オーギュスト・ルノワールは1841年に(私より百年前) フランス中西部の磁器産業で栄えた街、“リモージュ”の仕立て職人の父、お針 子だった母の子として生まれた。 13歳で陶器の絵付け職人の徒弟となり、強 い向学心と優れた才能から、20歳の時“パリ”で画家シャルル・グレールの画 塾に入門し、モネやシスレーやバジールらの仲間を得て、1874年の第1回印象 派展に「桟敷席」などを出品する。

 「ブージヴァルのダンス」(ボストン美術館)は、今回の展覧会で目玉の一つ になっている。 “ブージヴァル”はパリ西郊外、セーヌ河上流の行楽地。 近 くには「シャトゥーのセーヌ河」(ボストン美術館)に描かれた行楽地“シャト ゥー島”もある。 佐々木三雄・綾子ほか著『パリ オルセ美術館と印象派の旅』 (新潮社・とんぼの本)によると、シャルル・ドゴール・エトワール駅からサ ン・ジェルマン・アン・レイ行の郊外急行電車で15分のルイス・マルメゾン 駅で降り、セーヌ河へ向って7分ほど歩くと“シャトゥー橋”、橋の中ほどか ら下りると“シャトゥー島”だそうだ。 そこから2キロほど下流に“ブージ ヴァル”市がある。

 「エッソワ付近の風景」(バーゼル美術館)、「エッソワの風景、早朝」(ポー ラ美術館)の“エッソワ”は、シャンパーニュ地方にある妻アリーヌの生地で ある。 「エスタックのオリーブ畑」(丸紅株式会社)の“エスタック(レスタ ック)”は、セザンヌのいたところ。 「カーニュの風景」(ポーラ美術館)の “カーニュ”は、病気の治療を兼ねて冬を過した南仏の街だ。 “カーニュ” で、三岸節子のことを思い出した。 三岸節子が、1954(昭和29)年、49歳で 初めて渡仏した時、体感した地中海の光によって、日本人が油絵を描く困難さ を改めて自覚したのも、1968(昭和43)年に63歳で再渡仏、風景画に挑戦する ために居を構えたのも、“カーニュ”だった。

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