「出縄明先生の志と進和学園」を読む2010/09/21 06:51

 編集・発行人の岩本紀子さんが送って下さる季刊『雷鼓(らいこ)』2010年秋号に載った、岩本さんの「出縄明先生の志と進和学園」を読んだ。 思わず ホロッとし、そして寅さんのように、自らを深く反省したのであった。

 大磯在住の友人に案内されて、昔、福沢が登ったという大磯の裏山に登った ことがあった。 頂上には湘南平と呼ばれる展望台があって、相模湾の側には 大磯や平塚、裏側には丹沢をバックに秦野、伊勢原、厚木の町並み、西には足 柄や箱根から富士山が見渡せる景色のよい場所だった。 湘南平へはJR平塚 駅からバスが出ているそうだが、その湘南平に知的障がい者のための民間施設、 社会福祉法人 進和学園の施設が点在しているのだという。 福祉施設は事業所 が12ヵ所、保育園も2ヵ所、現在は400名ほどの年齢も体調も個々に違う多 様な障がい者たちが学園を利用している。 創設は昭和33(1958)年、学園 理事長だった出縄明さんが、障がい児を抱えて行き詰まっていた親達を見かね て、子どもと親とを同時に援助する必要に思い至り、家族や親戚の同意を得て、 父親の遺産をすべて注ぎ込んで始めたという。 出縄明さんをここまで駆り立 てた原因は、小学校3年生の時、吃音でいじめられたことにあった。 5年生 の時、猛毒と聞いた緑青を集めて飲み、死のうとしたが死ねなかった。 意識 を取り戻したあと、「弱いもののために生きよう」と決心した。 教室で笑われ、 泣き伏した時、一緒に泣いてくれた先生がいた。 自分の手に落ちたその先生 の熱い涙を、一生忘れないという。

 無認可状態で、自宅を解放してのスタートから52年、血のにじむような努 力が続けられて、今日に至った。 進和学園では、障がい者を「利用者ご本人」 と呼ぶ。 「障がい者の自立を助け、或いは自立も難しい障がい者が、少しで も生きていきやすいようにするため、学園をうまく利用してほしい」という願 いが込められている。

 その痩身をきまって質素な紺のスーツに包み、温顔で、気さくで、早口で、 写真好きで、まったく偉ぶったところのない明るい方だったという出縄明先生 は、7月2日未明、85歳で亡くなった。 7月1日から4日に開催される湘南 ひらつか七夕まつりの竹飾りを、進和学園は文房具店タナカカミテンの前に飾 る。 理事長はいつも七夕飾りに一生懸命で、テーマの企画から取り組むなど、 思い入れが強かった。 出縄先生と親しいそこの店員さんが、7月3日のお別 れ会で、こう語ったという。 7月2日10時30分頃、理事長が白いワイシャ ツ姿で七夕飾りを見に来ているのを見た。 後で訃報を聞いてびっくりした、 と。 岩本紀子さんは「(出縄)明先生であれば、有り得るような話だ」と、書 いている。