「誰もがあの人を好きになる」2010/09/29 07:17

 タキさんは、奥様とぼっちゃんが、鎌倉の社長さんの別荘に滞在した二週間 の間、旦那様の世話をして気づく。 旦那様からは、男の人の匂いがしなかっ た。 旦那様はタキさんを、一度も変な目でごらんになったことがない。

 旦那様の会社のデザイナー板倉さんは26歳、時子奥様は32歳、旦那様は45,6 歳、タキさんは24歳だった。 奥様のお友達で、職業婦人(編集者)の睦子 さんに、タキさんは言う「板倉さんは、奥様のことが、お好きなんですわ」と。  睦子さんはタキさんに、なぜか吉屋信子の『黒薔薇』の一節を引いて、男女相 愛の道程を辿る人類第一の本道のほか、第二の路もあるはずだし、「相愛の人を 得ずして寂しいながらも何か力いっぱいの仕事をして生きてゆく」第三の路も 開かれている、わたしたちは二人とも第三の路をゆくことになるかもしれない わねえ、と言う。 戦後、タキさんは睦子さんがその時言わなかった第二の路を、その吉屋信子の本で知る(吉屋信子であるところが、味噌だ)。

板倉さんがその後、時子奥様とどうなったかは、『小さいおうち』を読んでい ただくほかはない。 ただ、「奥様、わたし、一生、この家を守ってまいります」 と言ったタキさんが、そうはゆかなくなったのは、あの戦争のせいだった。