すっきりと涼しげ<等々力短信 第1015号 2010.9.25.>2010/09/25 06:40

 酷暑の夏だった。 10日、「等々力短信」は一人の読者を喪った。 学生時 代のクラブ、文化地理研究会で同期の山田順司君、肺がんだった。 学校を出 た途端、専務になった。 家業の印刷会社に入社したからだ。 先年私は工場 を畳んで、生活の先行きに自信が持てず、うろたえて、友人達に私家本の出版 などで、応援してもらった。 山田君には短信の封筒印刷をおねだりしたが、 以後数年、何も言わず面倒をみてくれた。

 蒸し暑い夏をいかに過ごすか、去年の今頃読んだ本のことを、思い出した。  俳人で朝日俳壇選者、長谷川櫂さんの『和の思想』(中公新書)である。 長谷 川櫂さんは、当時NHK俳句の選者だった。 テレビで見ると、すっきりとし た涼しげないい男で、女性会員の多い俳句結社の、主宰(「古志」)としての条 件を備えている。

 俳句は十七音しかない。 世界で一番短い定型詩だ。 長谷川さんは「俳句 はなぜ短いか」を、こう説く。 『徒然草』の五十五段に「家の作りやうは、 夏をむねとすべし」、家を建てるなら、夏向きに建てなさいとある。 日本の夏 はただ暑いだけでなく、蒸し暑い。 そんな国で多くの言葉を使っていたので は、暑苦しい。 そこで言葉を最小限に切りつめた俳句が誕生した。 俳句が 日本で生まれたのは、蒸し暑い夏のおかげということになる、と。 これは俳 句だけの問題ではない。 日本文化は、建築にしても、デザインにしても、シ ンプルだ。 あまりに蒸し暑いと、ごちゃごちゃしたものは、わずらわしくて、 やりきれない。 そこで日本人は、すっきりした生活や文化を編み出してきた。  「いき」は、すっきりと涼しげで、「野暮」は、べたべたして暑苦しい。

 和風のもの、着物や和食(鮓、蕎麦、天ぷら)や和室など、日本独自と考え られているものも、その由来をたどると、外国産にゆきつく。 この国独自の ものといえば、緑の野山と青い海原くらいのものだろう。 日本という国は、 この空っぽの山河に、大昔から次々と海を渡ってくるさまざまな文化を受け入 れて、それを湿潤な蒸し暑い国にふさわしいものに作り変えてきた。 外国文 化は、受容、選択、変容という三つの過程を経て、次々に和風のものに姿を変 えていった。 その際、大事なのはともかく涼しげであるようにということで あった。 それこそが「和の力」であり、この「和の力」こそ、日本独自とい うことのできる唯一のものである、と長谷川櫂さんは言う。 この本の副題に なっている「異質のものを共存させる力」だ。

ブログの効用2010/09/25 06:42

 21日の岩本紀子さんの「出縄明先生の志と進和学園」が載った季刊『雷鼓』 2010年秋号に、橘良一さんという方の「ブログの事情」という一文があった。  クラス会の幹事をしている中学を卒業してから60年近く経つというから、75 歳に近いことになる。 一人暮らしで、休肝日無しで飲んでいるから、孤独死 くらいは覚悟している。 問題は、死んだのに誰にも気付かれずにいることだ。  本人は良いけれど、離れて暮らす娘たちを後悔させることになる。 そこで考 えたのが、ブログである。 「俺は毎日ブログを書く。お前たちはそれをチェ ックしろ。何の前触れもなしに二日間ブログを休んだら、それは俺の身に何か あったときだと思え」と、始めた。

 橘良一さんは言う。 毎日書くのだから、どうしても日記風になる。 初め のうちは、夕方になると、さて何を書こうかと気になった。 しかし馴れてく ると、パソコンの前に座れば何とかなるさ、という気分になってくる。 どの みち私の頭をかち割って、脳味噌を全部さらけ出したところで、たいして深い ものなどあるはずがない。 馬鹿丸出しで行きましょう、というのが覚悟であ る。

 私も、毎日ブログを書いている。 そこで得られた境地は、橘良一さんが謙 遜して述べておられる覚悟と同じ「何とかなるさ」「馬鹿丸出しで行きましょう」 だ。 ただ、これだけ長く毎日書き続けていると、二、三日ブログを休んだら、 何かあったかと、心配をかける心配があるかもしれない。 もっとも、お会い すると、毎日読んでいますと言ってくださる、有難い読者の数は、両手の指で 足りるほどだけれど…。