「鴎外の恋人」に新説 ― 2011/03/24 06:56
「鴎外の恋人」に、また新説が現れた。 地震前日の10日、朝日新聞朝刊 (加藤修記者)が報じた。 ベルリン在住のライター六草(ろくそう)いちか さん(48)がドイツの教会公文書館で「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィ ーゲルト」という女性の洗礼記録を発見し、『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』(講 談社)にまとめた、という。
この問題については、昨秋NHK・Bshiの「鴎外の恋人―百二十年後の真実」 を見て、「鴎外の恋人」の実像を求めて<小人閑居日記 2010. 11.23.>、アン ナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトの誕生<小人閑居日記 2010. 11.24.>、 15歳のドイツ少女に鴎外のしたこと<小人閑居日記 2010. 11.25.>と、三日 にわたって書いた。 その「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」説の 最大の弱点は、問題の15歳の少女がなぜ本名でなく、乗船名簿にある「エリ ーゼ・ヴィーゲルト」を名乗ったかという問題だった。 番組では、パスポー トは不要で、船長が乗客リストを持っていればよく、未成年でも乗船出来たこ と、乗船名簿のエリーゼという名前は、国際結婚が難しかった時代に、二人の 間で使われた愛称だったのではないか、と推定した。
六草新説は、この弱点を突いて、女性の名前が乗船名簿に一致する。 『舞 姫』には、主人公の帰国を前に、エリスの母が「ステッテンわたりの農家に、 遠き縁者あるに、身を寄せん」と言ったという記述があり、六草さんはステッ テン=シュチェチン(現・ポーランド)の聖マリア教会の教会簿の洗礼記録に 1966年9月15日生まれの「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」 を発見した。 鴎外を追って来日した時は、21歳になる。 彼女が、住所録か ら1898年から1904年まで、帽子製作者としてベルリンに住んでいたことも確 認された。 鴎外の妹・小金井喜美子は鴎外から聞いたとして、エリーゼが「帰 って帽子会社の意匠部に勤める約束をして来たといって居た」と記しているそ うだ。
新説の問題としては、NHKの番組が取り上げた鴎外の遺品、森林太郎・M とRのイニシャルを組み合わせたモノグラムが刻印された錫板(型金)から読 み取れた、手彫りのWとB、さらにAやLの文字を、どう考えるかだろう。 そう読めば読めるけれどという程度のものに過ぎないと、切って捨てるのだろ うか。
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