『義塾』『福澤』両事典への感想から ― 2011/03/29 06:53
シンポジウムに参加した各大学の校史編纂の担当者の方々が、『慶應義塾史事 典』と『福澤諭吉事典』を読んでの感想を述べたのが、体験に裏打ちされてい るからだろう、核心を突いているという感じがした。
関西学院大学の井上琢智さんは、『慶應義塾史事典』が「調べる」ということ と、通して「読む」という二つの面のバランスに腐心したことに触れて、その 両立に成功しているとした。 「高校生も読めて、しかも専門家にも満足して もらえる」という目標も達成している。 各項目が執筆者の記名入りだったの は、大きな意義がある。 人物に写真を集めていることに、敬意を表す。 参 考文献を挙げているのは、たいへんに役に立ち、膨大な福沢・慶應義塾研究の 成果を示唆している。 注文もいくつかあった。 ハンディ版も必要なのでは ないか、学生が困る。 デジタル化されると、有難い。 慶應義塾大学は、何 時、なぜ、Keio-gijuku UniversityでなくKeio Universityと書かれるように なったか、の記述がない。 (27日に書いた)「むしろ義塾史についても『多 事争論』がふさわしい」という問題、「正史を書くこと」は必ずしも「多事争論」 を妨げない、むしろ「正史」があることで、「多事争論」を引き起こすことがで きるのではないか。
日本女子大の秋山倶子さんは、『義塾』『福澤』両事典ともに重厚で、慶應義 塾という学校の力を結集した結果だということがわかる、二つがセットになっ て、学園像がわかる、と述べた。 規模を比べると、慶應の卒業生が29万人 (うち女子5万3千人)の時、日本女子大の卒業生は5万8千人だった。 慶 應卒業生の1/6が女性なのに、『義塾』事典に女性についての記述が少ない、ど んな人を輩出し、どんな特徴があるのか。(この点、シンポジウムでは出なかっ たが、慶應婦人三田会 プロジェクトF編『慶應義塾で学んだ女性たち』2008 年・慶應義塾大学出版会がある。)
早稲田大学の大日方純夫さんは、『福澤』事典の出来栄えについて、福沢とい う巨大な人物の威力と編者の実力によるもので、至れり尽くせりの全福沢が、 細部に行き渡るこだわりで描かれた、とした。 『福澤』事典の効果は、福沢 という“万華鏡”からみる近代日本であり、幕末・維新~自由民権~日清戦争 の時代、近代の意味を問い直す拠り所になる。 「I 生涯」は時系列に丹念な 立項と的確な叙述、「V ことば」は思想のエッセンスの抽出と巧みな解説がみ られる。 ただ、福沢と大隈重信に関して、三田派の憲法プランから東京専門 学校(早稲田大学)誕生に至る流れが出てこない。
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