「浄土教の先駆者」空也メモ ― 2011/08/10 05:48
8月7日の「念仏を唱えていれば極楽へ行ける」に、仏教にくわしい曲月斎 さんがコメントを付け、つぎのようなことを教えてくれた。 「今の日本の仏教界の勢力図というのは、江戸時代の宗門改メ、本山末寺の 系統の確立などのプリズムを経ていることを忘れてはいけないと思います。そ の点で、鎌倉仏教といわれる法然、親鸞、道元、日蓮などの存在がクローズア ップされがちです。ですが、本当の浄土教の開祖ともいっていい空也の存在が 法然、親鸞の教義の広がりの前に「耕す」役割を果たしていたと思うし、既存 の宗派との間合いに立って阿弥陀仏への信仰を広めた一遍の存在がもっとクロ ーズアップされてもいいのかな、と思っております。」
「空也」と聞いて、石川啄木が校正係をしていた頃に朝日新聞があった、朝 日ネットのビルの前の、「空也」の最中しか思い浮かばないのが恥ずかしい。 日 曜美術館で「絵詞伝」を見たような記憶があるのは、「空也上人」だったか、「一 遍上人」だったか…。
とりあえず、『広辞苑』を引く。 「くうや【空也】(コウヤとも)平安中期の 僧。空也念仏の祖。出自未詳。尾張国分寺で出家後諸国を遍歴し、道路・橋梁・ 灌漑等の社会事業を行うとともに、京都を中心に貴賎を問わない口称(くしょ う)念仏の布教を展開、市聖(いちのひじり)・阿弥陀聖(あみだひじり)と称せら れた。948年(天暦2)比叡山で受戒しているが戒名光勝は受戒後も用いていない。 京都東山に六波羅蜜寺を建立。同寺蔵の空也上人木像は鎌倉時代の康勝の作。 (903~972)」
くうやおどり【空也踊】→空也念仏に同じ。
くうやねんぶつ【空也念仏】空也が弟子定盛に伝えたという念仏。瓢箪また は鉢を叩き鉦(かね)を鳴らし、和讃・念仏を唱えて歓喜の情をあらわして踊る。 空也踊。踊念仏。鉢たたき。
くうやどうふ【空也豆腐】(空也派の僧侶が創製したからいう)溶き卵と調味 した出し汁を豆腐にかけて蒸し、その上に葛餡をかけた料理。空也蒸し。
くうやき【空也忌】11月13日(現在は11月の第2日曜日)に京都の空也堂で 修する法会(ほうえ)。空也念仏を唱えながら京都の内外をめぐる。空也が京都 を出て東国化導(けどう)に赴く際、この日を忌日とせよと言ったのに起こると いう。(季・冬)
くうやどう【空也堂】京都市中京区蛸薬師通堀川東にある天台宗の極楽院光 勝寺の通称。天慶(てんぎょう938~947)年間空也の創建と伝える。空也念仏の 道場。六斎念仏発祥の地。
補足すれば、『百科事典マイペディア』に「浄土教の先駆者」「応和年間(961 ~964)に京都で建立した西光(さいこう)寺は現在の六波羅蜜寺とされ」、『ブリ タニカ国際大百科事典』に「時宗の一遍は空也を「わが先達」として敬慕した」 「空也についての詳細は、源為憲の『空也誄(るい)』、慶滋保胤(よししげのや すたね)の『日本往生極楽記』に記されている」、『日本歴史大事典』に「20余 歳のとき尾張の国分寺で自ら剃髪し空也と名乗る。のち播磨峰合(みねあい)寺 や阿波・土佐間の湯島で経論や観音による修行を積み、諸国を巡って陸奥、出 羽の奥地にまで布教し、938年(天慶元)京に現れ」とあった。 最近の評伝に、石井義長著『空也 我が国の念仏の祖師と申すべし』(ミネルヴァ書房)がある。
コメント
_ 曲月斎 ― 2011/08/10 23:07
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その空也念仏の藝を映した狂言に「鉢叩」があります。元々は「輪蔵」という能の間狂言だったとも言われますが、風情のある曲です。先途、野村万之介師のお別れの会で手向けの曲としてこれが選ばれ、万作、万斎らが謡ったのを聞き、その味わいを見直しました。
余談まで。