古代、女性は統治者たり得た2012/01/13 04:56

 義江明子さんによると、昨日みた古代女帝論の転換をもたらしたのは、

(1)1945年以降可能になった王朝交替論をも含む自由な王統譜・王権研究と、

(2) 1970-80年代以降にめざましく進展した古代女性史・家族史研究の成果だ という。

 (1)からは、世襲王権の成立は6世紀以降であること、それ以前は非世襲 の王位移動や複数王系の存在が想定されること、記紀が記す初代の神武から10 代ほどの「父子直系」は後世の述作の疑いの濃いこと、6世紀以降の継承の実 態は兄弟継承ないし世代内継承というべき広い傍系継承であること、等が明ら かにされた、という。

 ここからみれば、女帝は126代(神武を初代と数えて!)のうちのわずかに10 代8人だから特殊例外だというのは、史料批判なしの非歴史的見方にすぎない ことがわかる、とする。 確かな史実にもとづけば、古代国家形成の激動期に おいて、推古から称徳まで男帝は7人、女帝は8代6人で、男女半々である。  継承困難時の「中継ぎ」だけで説明できないことは、あまりにも明らかだろう、 とする。

 (2) からは、古い時代の女性首長から豪族・貴族、村の統率者に至るまで様々 な階層で女性が男性とならぶ政治的・経済的力を持っていたこと、家父長制家 族は一般的には未成立だったこと、古代の基層の親族原理は父方母方がともに 重んじられる双系的なものであること、父系原理は律令制とともに導入が図ら れるが8世紀にはまだ端緒段階であること、等が明らかになった、とする。 こ うした家族論・親族論の成果を取り入れて、新しい古代社会像も提示された(吉 田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、1983年)。

 義江明子さんは、古代においては、ごく当然に、女性は統治者たり得たので ある、と結論づける。

 そして、義江さんは言う。 「そもそも「女帝中継ぎ論」とは、近代の男系 男子継承の法制化を前提とし、それを当然とする通念のもとで形成された学説 である。 そしてこの法制は現在も生きている。 こうした史学史をふまえる ことなしに、諸説を並列して優劣を検討する研究史の枠内に問題を閉じ込めて はならない、と私は思う。 王位継承システムや個々の継承事情に限定しない、 幅広い視野からの検討が女帝論には必要なのである。」

 義江明子さんは、このような女帝論を近刊の『古代王権論』(岩波書店、2011 年4月)で、くわしく展開しているそうだ。 女性宮家の創設が政治課題になっ ている今日、広く読まれることを願って、紹介した。