花緑の「平林」 ― 2012/01/24 04:00
花緑が出たとたんに、客席でくしゃみした人がいて、すぐに花緑がいじった。 前座、二ッ目の演目だから、落語研究会では聴いたことのない演目だろうと言 う。 調べたら三回目だそうだ。 1976(昭和51)年10月に三遊亭ぬう生(現、 円丈)さんが初めてやり、翌1977 (昭和52)年10月に三遊亭友楽(現、円橘)さん がやっている。 これが、今世紀最後になるのではないか。 祖父が亡くなっ て十年、「平林」についてのコメントが残っている。 直に新宿末広亭の楽屋で 聞いた。 誰かが「平林」をかけていて、「こんな噺を真面目にやってる奴は、 出世したためしはねえ」と言った。 落語の祖、安楽庵策伝の作という由緒正 しき噺だ。 元ネタは『醒睡笑』にある、450年前の日本のものだ。 策伝が 住職をしていた京都の誓願寺へ行って、手を合わせて来た。
この噺は、大人の半端なやさしさから、子供が混乱し、苦労する話だ。 噺 が短いので、つないでいるわけではない。 九州佐賀で独演会があって、JAL でない方で往復した帰りの便、中型機だった。 通路DEF窓という座席の、D に弟子のフラワー、Eに私、Fに知らないおじさんだった。 私の前の席に小 学2~3年生の男のお子さん、通路側にお母さん、窓側に知らないおばちゃん がいた。 お子さんは初めての飛行機のようで、はしゃいでいた。 そのおば ちゃんが、子供の気持を察して、窓側の席と換わりましょう、と言った。 そ して、おばちゃんと子供だけが席を換わった。 ボットーーンとしたおばちゃ んだった。 ところが、その飛行機がものすごく揺れた。 最悪の事態、それ なのにおばちゃんはよく眠っている。 子供がヒーヒー言っているのに、お母 さんは何もしてやれない。 原因はと言えば、おばちゃんが、子供とだけ席を 換わった、半端なやさしさにあった。
小僧の貞吉が、平河町の平林(ヒラバヤシ)さんへ、手紙を届ける使いにやら れる。 貞吉といっても、ただの貞吉じゃない、字の読めない、先祖伝来無筆 の、貞吉だ。 「ヒラバヤシったらヒラバヤシ」と口に出して行く。 信号で 止まりなさい、唱えていたのが「信号は赤どまり、赤どまりの青歩き」に変わ って、煙草屋に封筒の表書を読んでもらう。 「平清盛のタイラ、林家正蔵、 林家ぺーのハヤシで、タイラバヤシ」。 「タイラバヤシ」って微妙だな、と今 度は八百屋で聞けば、キュウリ持ってきな、「平社員のヒラ、林檎のリンで、ヒ ラリン」。 日向ぼっこしているお爺さんに聞けば、「へへへへへ、バカヤロー」 と(彦六の物真似で)「よく見たら難しい。分解してみよう、奥にあるものが見 えてくる、一八十のモークモクだ」。
長げぇーな、もうしょうがない、学生さんに聞いてみよう。 何だね、勉強 が得意だ、バナダ大学のトップから753番目。 正解はない、近いのは一つあ る。 「一八十のモークモク、ヒトツ(爽やかに)とヤッツ(弾むように)で、トッ キッキ」。 人間やめたくなった。 仕方がない、全部言って、歩いて行こう。 近所の子供たちがついて来た。
何だ、向こうから来るのは…。 ブレーメンの音楽隊みたいに、子供たちが ゾロゾロついて来る。 貞吉君じゃないか? どうも、こんにちは、ヒラバヤ シさん。
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