「民権意識の世界文化遺産」 ― 2014/07/14 06:47
明治13年、14年頃、全国各地で、「憲法草案」がつくられた。 交詢社の「私 擬憲法案」、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」、板垣退助が率いた高知県土佐 立志社の「日本憲法見込案」などが有名だ。 「五日市憲法草案」は、そうし た東京の有名な学者が、ドイツやイギリスの憲法をモデルにして書いたという ようなものではない。 色川大吉さんたちが発見した深沢家の土蔵の埋蔵史料 によって、この地方における学習運動の実態がわかり、「五日市憲法草案」の創 造過程がはっきりしたのだ。
色川大吉さんたちが驚いたのは、深沢村の名主深沢家の土蔵から、おそらく 安政の終りか、文久ごろに筆写したと思われる英、米、仏、露などと結んだ外 交条約、日米和親条約、日英和親条約などが、出てきたことだ。 この地方は 天領が多く、代官江川太郎左衛門が進歩的で、幕末の段階で五日市地方にも農 兵隊を組織し、早くから西洋流の兵術や知識などを啓発していたのだ。 明治 になっても、先に見たように、反明治政府的な気分が横溢していた。 幕末の 条約を書き残しているというような精神が、受け継がれていなかったら、1880 年代という早い時期に、この地方で自由民権運動があらわれることはなかった だろう、と色川さんは考えている。 自由とか、人民の権利とかは、西洋伝来、 舶来のものと考え勝ちだが、実はペリー艦隊の出現以来、日本の民衆の中には うつぼつたるナショナリズムがすでに生れていた。 国際環境に対する非常に 感度の高い精神が目覚めていて、それが自分たちのもっとも身近な権利、自分 たちの人権を、政治への自由な参加を通じて要求した時に、ナショナリズムの 精神となって、よみがえってきている、というのだ。 この時の自己認識の助 けとして、ルソーやミルやスペンサーの翻訳書が読まれたのであって、精神そ のものは舶来ではない。 五日市地方における熱心な自由民権運動や学習活動 というものは、実は一千年間にわたった封建体制の農民に対する圧迫、これを 跳ね返して、人間が人間らしい生活を求めようとした根源的なエネルギーに、 19世紀後半の世界情勢が火をつけた、民衆のエンジンの始動に点火したもので あり、それだからこそ、あのようなめざましい昂揚を生み出したのだと思われ る、と色川大吉さんはいうのだ。
昨年10月の皇后さまのお言葉には、「近代日本の黎明期に生きた人々の、政 治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚え たことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育 っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないか と思います。」とあった。 日本の若い人々、中国の人々に、ぜひ学んでもらい たい文化遺産だ。
最近のコメント