ジョージ・ワシントンの結婚と家族2014/08/06 06:36

 「ウィキペディア」のコピペは恐るべしと、批判していながら、お世話にも なっている。 「ジョージ・ワシントン」についても、その結婚や家族に関し て、くわしいことが書いてあった。 『ブリタニカ国際大百科事典』に、「1758 年にはJ.フォーブス将軍に協力してデュケーヌ要塞攻略に成功。59年バージニ アの富裕な未亡人M.カスティスと結婚、プランテーション経営に精を出した。」 とあるあたりである。

 「1758年遅く、ワシントンは軍隊の現役から退き、その後の16年間はバー ジニアの農園主および政治家として過ごした。 ワシントンは、ニューケント 郡パマンキー川の南岸にあるホワイトハウス・プランテーションに住んでいる 未亡人、マーサ・ダンドリッジ・カスティスに紹介された。 フレンチ・イン ディアン戦争の最中で休暇を取って帰った時に、マーサの友人が案内した。 ワ シントンは初めて会ってから3週間の間にマーサの家を2回訪れただけで結婚 を申し込んだ。 2人は共に27歳であり、1759年1月6日にマーサの家で式 を挙げた。 新婚の2人はマウントバーノンに移動し、そこでワシントンは上 流階級の農園主で政治的な関わりを持つ貴族的な生活を送った。 マーサの以 前の夫、ダニエル・パーク・カスティスとの間にできた連れ子ジョン・パーク・ カスティスとマーサ・パーク・カスティスを育て、2人を愛情を込めてジャッ キーとパティと呼んだ。 ワシントン夫妻には子供ができなかった。 おそら くワシントンが天然痘にかかったことがあり、その後結核によって無精子症に なった可能性がある。 後にジャッキーが死んだ1781年以後はその子供達、 エレノア・パーク・カスティス(ネリー、1779年-1852年)とジョージ・ワ シントン・パーク・カスティス(ワシー、1781年-1857年)を育てた。

 ワシントンは裕福な未亡人と結婚してその資産を増し、社会的地位を上げた。  結婚した時にカスティスの資産18,000エーカー(73㎢)からその3分の1に あたる土地を取得し、その残りはマーサの2人の子供たちのために管理した。  その後もたびたび自分名義で土地を買い増していき、またフレンチ・インディ アン戦争の報償として現在のウエストバージニアに土地の特許を認められた。  1775年までにマウントバーノンは2倍の6,500エーカー(26㎢)となり奴隷 を100人以上所有した。 ワシントンは戦争の英雄としてまた大土地所有者と して尊敬され、地域の役職を務め、1758年からはバージニア植民地議会にも選 ばれた。」

 福沢が今ワシントンの子孫は如何(どう)なっているかと尋ね、ワシントン の子孫には女がある筈だ、今如何しているか知らないが、何でも誰かの内室に なっている様子だと如何(いか)にも冷淡な答を得たのには、こうした事情も 背景にあったのかもしれない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック