「青木功一著『福澤諭吉のアジア』」読書会に参加して(1)〔昔、書いた福沢124-1〕2019/10/08 07:17

『福澤手帖』第163号(2014(平成26)年12月)の「青木功一著『福澤諭 吉のアジア』」読書会に参加して」。

 本年7月5日慶應義塾大学三田キャンパス南校舎445号室で開かれた青木功 一著『福澤諭吉のアジア』(慶應義塾大学出版会・2011年)の読書会に参加さ せてもらった。 講師の東京大学名誉教授、平石直昭さんは、『三田評論』2013 年8・9月合併号でこの本の書評をしている。 この読書会では、まずその書 評で取り上げられなかった論点五つにふれ、後半は書評中で上げた七つの論点 を敷衍した。 レジュメと、書評では紙幅の関係で明示できなかった参考文献 の詳細なリストが配付された。 お話を、以下にまとめてみる。

 青木功一『福澤諭吉のアジア』は、簡単に読み進むことも、料理することも できない。 それは、(A)福沢の東洋政略論自体の展開を客観的にどう理解す るかという問題と、(B)その問題に対して今までの研究者がどういう見方をし てきたかという研究史・学説史をどう跡づけるのか、その両方が交差するとこ ろに、この本が成立しているからだ。

 福沢の東洋政略論は、『時事小言』(1881年)の「東洋連帯」論、「脱亜論」 (1885年)、その後の清国との協調論と変幻自在に変化した。 青木が、福沢 の著作や先行研究と格闘し、暗中模索し、自分なりの見方を打ち出そうとする 苦労、根気強さ、土性ッ骨に打たれた。 そこにこの本の意義があると思う。  七つの論点は本書と格闘する中で自ら浮かび上がった。 書評は、青木が目の 前にいるかのように、理解に努め、敬意を持って書いた。 個々の論文につい ては、青木の見方が揺れ、解釈の矛盾がみられるところもある。 青木が生き ていたら、それらを総合するリライトの作業をしただろう。

 最晩年の丸山眞男が福沢について面白いことを語っていた。 丸山著・區建 英訳「『福沢諭吉と日本の近代化』序文」、1992年10月『みすず』379号。 戦 前の偏った福沢像として「拝金宗」(内村鑑三)や江戸町人の実利主義と変わら ないという見方(和辻哲郎)をあげ、戦後は日本帝国主義の思想的イデオロー グといわれるようになったとし、後者について二つの疑問を出している。  (一)近代日本の歴史を「脱亜」の歴史として捉える見方の妥当性如何。 近 代日本は本当に「脱亜」したか。 実際には国家神道、国体論など、アジア的 なものが強く残った。 だから「脱亜入欧」で近代日本を捉えるのはおかしい。  (二)福沢の「脱亜論」をどう理解するか。 「脱亜入欧」は福沢の言葉では ない。 また「脱亜論」は甲申事変後の時局的な政策論にすぎない。 つまり 「脱亜」は福沢理解のキーワードにはならない。