ウィーン万博帰りの展示品を積んだニール号の遭難2021/09/28 07:05

 1873(明治6)年のウィーン万国博覧会で、思い出したのは「東京国立博物館150年の謎」というBS朝日開局20周年の記念番組だった。 2021年3月28日の放送だが、たまたま10月2日(土)の深夜に再放送があるそうだ。

 ウィーン万博終了後、展示品の多くと現地で入手した美術品などは、フランス郵船会社の貨客船ニール号で日本に運ばれた。 マルセーユ港を1873(明治6)年9月18日に出港、香港を経て、横浜港に向かっていたが、1874(明治7)年3月20日未明に暴風雨のため現在の南伊豆町入間の沖の岩場で座礁、沈没してしまった。 船長以下60人のフランス人船員、21人の中国人船員、パン職人1人、乗客8人、計90人の内、助かったのはフランス人4人だけだった。

 ニール号に積まれていた万博の展示品とウィーンで購入した美術品は大部分が海底に沈んでしまったが、わずかな品が回収され、内務省管轄の東京国立博物館に収蔵された。 ニール号の沈没で搭載品のほとんどが海に沈んだことを知ったイギリスのサウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート博物館)館長フィリップ・クンリフ=オーウェンは、ヨーロッパの美術品を集めて1876(明治9)年に日本に寄贈し、これも東京国立博物館に収蔵された。

 助かったフランス人の一人、パン職人のミッシェル・デンチシは、後に横浜居留地でパン屋を開業したという。(余談だが、山岡鉄舟と銀座木村家の「あんぱん」<小人閑居日記 2020.12.12.>に、こう書いていた。 なお「日本で初めてのパン屋」についてだが、横浜の、中区日本大通5に「近代パン発祥の地」記念碑がある。 開港の翌年1860(安政7、万延元)年、フランス人にパンの製法を習った内海兵吉が「富田屋」をここで開業したとして、2016年に建てられた。 食パン(イギリス風山型及び角型)の元祖は、横浜のウチキパンの元となった英人クラークが1862(文久2)年に開業したヨコハマベーカリーで、宇千喜商店を経て現在のウチキパンとなったそうだ。)

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