日本濾水機工業、橋本祐二さんとテレビ取材 ― 2021/09/08 06:57
卒業25年の記念事業(現役の卒業式に招かれるので手土産の寄付集め)の実行委員会で、経済学部の世話役をご一緒した、橋本祐二さんからメールを頂いた。 橋本さんは、大正7(1918)年創業の100年企業、日本濾水機工業株式会社(ロスイキ)の会長だ。 2014年に社長を、公認会計士で大手監査法人や経産省にいたお嬢さんの美奈子さんが継いでいる。 橋本さんご夫妻のアメリカ留学中のそも馴初を、昔「等々力短信」第482号「ダッド&マム」に書いたことがあった。 ロスイキは、セラミックフィルター、濾過機、水処理装置の製造・販売、用水処理プラントエンジニアリングに、独自の精密濾過技術で発展し、独立独歩で事業を継続してきたことを誇る優良企業である。
メールは、8月22日(日)NHK BS1午後10時から放送のドキュメンタリー「感染症に斃れた日本軍兵士(追跡~防疫給水部)」という番組に、戦時中、給水部隊が使用した濾過機を日本濾水機工業が製造していた関係で、取材を受けたというのだった。
番組前半のテーマは、「マラリア、知られざる日米の攻防」。 1942(昭和17)年2月にシンガポールを陥落させた日本軍は、6月に南方軍防疫給水部800人を編制しシンガポールに置いた(現・保健省の建物)。 番組冒頭、橋本祐二さんが資料を持った女性を従えて登場、画面は資料を映しながら、日本濾水機工業が防疫給水部の石井四郎陸軍軍医中将の依頼を受け、前線の兵士の給水のために、同社の珪藻土による濾過筒を使った、泥水も99.9%濾過できる医療用石井式濾水機を開発したと説明、その濾水機の写真も出した。 そこで橋本祐二さんは、資料に歌詞のあった「防疫給水部の歌」というのを、歌った。 「♪山河幾百踏み越えて はるばる運んだ浄水機 馬よ頑張れ灼熱の あの前線へ塹壕へ 命と託すこの水を」 「♪友よ存分飲んでくれ 病に倒れてなるものか 病原菌を殲滅だ」
実は、番組で日本濾水機工業に関するものは、それだけだった。 感想メールを送ったら、橋本祐二さんから「お詫び」というメールが来た。 二日間に亘って撮影、インタビューの結果が、オマケで口ずさんだ鼻歌部分だけとは、唖然として次に大笑いした、TV番組などみんなこんな風なのか、と。 工場内は隈なく撮影、濾過機の仕組み、我社と軍との関係を誤解を招かないように長々と説明した。 濾過機の心臓部分であるフィルターは、我社が大正時代に発明し特許を有していたセラミックフィルターを、軍用濾過機の開発で頭を痛めていた石井軍医が、展示会で見つけて採用に至ったものだ。 装置は軍が開発したが、心臓部のフィルターは当社のオリジナルという点が大事だったのだが、、、。 最終的には、オマケで口ずさんだ軍歌の部分だけが取り上げられ、恥ずかしい上に、マスコミの取り上げ方というのは、こんなに勝手気ままなものなのだと思い知らされた。 そもそも橋本祐二さんの名前が間違っていて、奥様がその点を怒っていた。 初めに資料を持ち従って出たのが、社長の美奈子さんで、秘書みたいだとこれも笑い話になったそうだ。
「防疫給水部の歌」という軍歌は、橋本さんが学生時代に、父上が社内でほこりをかぶっていたレコードを見つけて持ち帰り、すでにヒビ割れがひどい状態だったのを、何とか歌詞を聞き取れと言われて、それこそ何十回も聞き直したため、メロディーを覚えていたのだそうだ。 「日本中で、今、歌えるのは一人だけなので、ちょっと聞かせてください」とおだてられて、口ずさんだのが、まさかそこの部分しか流されなかったので、唖然、そして大笑いだったというのであった。
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