富士川の合戦、平家敗走の真因?(笑)2022/03/11 07:05

『鎌倉殿の13人』3月6日の第9回「決戦前夜」。 頼朝は、伊東祐親を召し取れと命令、孫の義時と三浦義村が先回り。 館には八重がいる、祐親に命じられた夫の江間次郎(芹澤興人)は殺せず、下人の善児(梶原善)が殺そうとする。 義時と三浦義村が八重を助け、八重は父祐親に「生きて、千鶴の菩提を弔え」と。 伊東祐親は捕縛され、頼朝、許すわけにいかぬと言うが、孫二人の「どうかご慈悲を」という嘆願に、「舅殿、良き孫たちに恵まれましたな、命は取らぬ、三浦に預ける」

八重も、佐殿にはお渡しせぬと、三浦へ行くところを、「一つお願い、侍女として御所に置いて頂きたい、佐殿にお仕えしたい、大願成就を見届けたい、厨の仕事でも」と。 政子は反対だが、実衣が「近くに置いた方が安心」と言い、政子「いろいろありますが、これからは佐殿を支えて参りましょう、それぞれの立場で」、八重「かしこまりました」

 治承4(1180)年10月13日、平維盛(これもり)を総大将とする追討軍、5万~7万、赤旗を靡かせ、東海道を進む。 武田信義を呼びに行った北条時政、黄瀬川の陣へ、武田は来ず駿河へ行ったと、頼朝、舅を罵倒。 いよいよ、正念場、10月16日、黄瀬川を出陣。

 10月20日、富士川、駿河の目代を討ち取った武田信義は、頼朝軍に先手を打ち全軍で夜襲をかけようとする。 宴を張っていた頼朝、明後日ではなかったのかと、夜明けまで待つ。 三浦義澄、悪酔いした北条時政に、しっかりしてくれと、川辺で言い争い、時政が義澄を川に倒した音に、水鳥がザワザワし始め、数万羽の羽音に驚いた平家の軍勢、逃げ出し、総崩れとなる。

 頼朝軍、義時が総大将にと頼んでいた上総広常、兵糧がない、所領に帰る、と。 義時に、「小四郎、お前は、坂東か、頼朝か?」 上総広常、所領と一族が大事だ、総大将は又にする、北の動き(常陸の佐竹、奥羽の藤原)も怪しい。 武田も、兵を引いた。

 時政は、頼朝に「戦さで命を張るのは、わしらなんだ」と。 「時政、よう言うたな、致し方ない、鎌倉へ帰る」「小四郎、わしと坂東と、どちらなんだ。とどのつまり、わしは一人ということだ。あれがおったか、全成」

 そこへ、若武者九郎義経(菅田将暉)がやって来る。「兄上!九郎でございます。ずっとこの日を待ち焦がれておりました。兄上だ。兄上だ。」 何か、兄弟の証(あかし)を。 「御館(みたち)から兄上への文」 「藤原秀衡か」 「父上を殺し、母上を奪った平清盛への怨み、父上の仇を討ちたいから、兄上のために、この命を捧げます」 「よう来てくれた」 「兄上ーーッ!」と抱き合う。