個人の自立を守る自由主義、理想を捨てない現実主義 ― 2023/08/20 07:28
「石橋湛山 先見の思想」、つぎは政治思想史研究者の上田美和さん、1973年生れ、オックスフォード大学院、早稲田大講師などを経て共立女子大准教授。 著書に『石橋湛山論』『自由主義は戦争を止められるのか』。
上田美和さんが、石橋湛山にひかれた最初はやはり「小日本主義」、1920年代、経済ジャーナリストとして日本の自発的な植民地放棄論を打ち出したのは、歴史に名を残す成果だったと思う。 ただ、湛山は当時の国益を考えた結果として大日本主義を批判したのであって、生涯、小日本主義を言い続けたわけではない。 湛山の根底にあるのは、小日本主義ではなく、経済合理主義であり、植民地支配には合理性がなく、国益に合致しないと考えた。 もう一つは、自己の支配を重んじる自立主義で、現地の人が自分で決める意思を踏みにじる植民地支配は、放棄すべきだと考えた。
ただ、小日本主義は「時期限定」で、30年代になると朝鮮・台湾植民地の存在を認める主張をしている。 言論統制に屈したのではなく、戦時経済の下で小日本主義を唱える余地がなくなったためだ。 さらに言えば、自分の自立が揺るぎかねない事態に、他者の自立をどこまで受け入れるのか、という問題にもなってくる。 戦争になると、湛山は愛国者でもあるので、「自分の国はどうなってもいい」とは言わなかった。 開戦後は筆を折る選択肢もあったが、湛山は愛国者として、言論で抵抗を続けた。 「戦争の遂行は誤りだ」と忠言する「争臣」がいなければ国は危うくなると考えたのだ。 終戦直後、湛山は「日本の発展のために米英とともに日本内部の逆悪と戦っていたのだから、今回の敗戦は悲しくない」と日記に書いているそうだ。
石橋湛山の思想を貫くものとして上田美和さんは、自由主義を挙げ、そこにはナショナリズムが含まれると見る。 徹底した民主主義者でもあり、平和な方が国益に合致するので戦争はしない方がいいと考える一方、民主主義による選択の結果、国民が戦争を選ぶなら仕方ないという考えも示している。
戦後、自民党の首相にもなった湛山が、軍事の役割を否定しなかったのは、彼なりの現実主義であり、再軍備論を主張し、「経済を圧迫しない程度に」という限界点を設けた。 「米国への過度の依存はよくない」という自立の考え方からだ。 一方で、「日中米ソ平和同盟構想」を提唱し、中国やソ連などを単身、訪問したりして、自民党内から冷たい目でみられることもあった。
理想と現実の二者択一ではなく、上田美和さんは、湛山を経済合理性と自立を考えながら、「理想に近づくために現実的に行動する」、「理想を捨てない現実主義者」ととらえている。
上田美和さんが重要だと思うのは、湛山の個人主義だという。 駆け出し記者時代、個人の人生を邪魔するなら、国家の方を変えなければならない、と述べ、30年代にも「自由主義は個人主義の別名である」と述べている。 でも戦時になると、「個人の生命よりも国家の存亡が優先だ」となりがちで、湛山も戦争を止めることはできなかった。 そこに示された自由主義の難所をどう乗り越えるのかが、今日的課題かもしれない、と上田さんは指摘する。 そして戦時でも、国家の自立だけでなく、個人の自立をできるだけ守るべきだと、考える。 現在のウクライナ危機に対して何ができるのか。 具体策として、現地の希望する人々を国外に救出する「人道回廊」への支援を挙げ、戦争中でも個人の存在に目を向けて「人間の安全保障」に力を入れていく。 自由主義には、まだやれることがあるはずだ、と言っている。
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