わが青春の春夫の詩。今日も一日無事に生き。2023/08/11 07:10

   凌宵花わが青春の春夫の詩   都築華子

 「凌宵花(りょうしょうか)」が「ノウゼンカズラ」であることは、俳句をやるずっと前、高校生の頃から知っていた。 佐藤春夫の『殉情詩集』に「酒、歌、煙草、また女」三田の学生時代を唄へる歌、というのがあり、試験の前になって、やむを得ず勉強しなければならなくなると、愛唱していたものだった。 赤煉瓦の旧図書館の右手、「文学の丘」の入口に立派な棚が設えられ、説明はないが「ノウゼンカズラ」が植えられている。

 ヴィッカスホールの玄関に 咲きまつはつた凌霄花 感傷的でよかつたが 今も枯れずに残れりや / 秋はさやかに晴れわたる 品川湾の海のはて 自分自身は木柵(もくさく)に よりかかりつつ眺めたが / ひともと銀杏(いちょう)葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語 / 若き二十のころなれや 三年(みとせ)がほどはかよひしも 酒、歌、煙草、また女 外(ほか)に学びしこともなし / 孤蝶、秋骨、はた薫 荷風が顔を見ることが やがて我等をはげまして よき教へともなりしのみ / 我等を指してなげきたる 人を後目(しりめ)に見おろして 新しき世の星なりと おもひ驕れるわれなりき / 若き二十は夢にして 四十路に近く身はなりぬ 人問ふままにこたへつつ 三田の時代を慕ふかな

 <筍をさつくり割りしゾーリンゲン>、都築華子さんは少し上だがほぼ同世代であることが、この句で判る。 我が家でも、父も母もゾーリンゲンの刃物、ナイフや剃刀、鋏、爪切などを珍重していた。 ゾーリンゲンは、関や三条・燕のような都市の名で、ヘンケルスはメーカーらしい。 そういえば、「デリカテッセン」という一文を綴ったことがあった。 「等々力短信」第1105号 2018(平成30)年3月25日「デリカテッセン」。

   今日ひとひ無事に了へたるはうれん草   田中温子

 「はうれん草」菠薐草、『ホトトギス 新歳時記』二月に「もっともふつうの野菜である。紅色の茎の部分から葉が叢生する。」「浸し物、和え物などのほか、各種の料理に重用される。」とある。 当り前の日常生活を象徴しているのであろう。 私などは、歳を取ってきてから、毎日風呂に浸かって白いタイルの壁を見上げながら、今日も一日無事に生きられて、なんとも有難いものだと、つくづく思うようになった。

 <うちの子と言ひて朝顔商へる>、そんな声は聞いたことはないけれど、毎年入谷鬼子母神の朝顔市に行って、五十年近い。 コロナ禍で三年ぶり開催となった今年、通信販売に慣れて、つい入谷に出かけるのを怠けてしまったのも、年のせいだろうか。 <新涼や席譲られることに慣れ>、電車でびっくりしたように立ち上がってくれる人がいる。 有難く座らせてもらうことにして、久しい。 降りる時に、挨拶はするようにしているが…。