柳家権太楼の「百年目」下2023/10/11 04:47

 番頭は、駄菓子屋で着替えて、一目散で帰って来た。 只今、戻りました。 番頭さん、お帰んなさい。 お帰んなさい。 旦那はどうした。 玄白さんと、お出かけで。 熱がある、風邪を引いたらしい、先に休むから、旦那様がお帰りになったら、そう言っておくれ。

 玄白さん、今日は面白かったね。 また、句会でもやりましょう。 旦那様、お帰りで。 番頭さんは帰っているか? 風邪だそうで、先に休むからと、旦那様に伝えてくれと。 お医者様に診てもらったのか。 寝れば治ると、おっしゃって。 うちの大事な番頭さんだ、医者にも診せないのカッ!

 「うちの大事な番頭」、寝ている番頭の耳に、グサリ。 ネチネチ、番頭さん、そこにお座りなさい、手前どもには、流儀(?)がある、死んだ噺家みたいな口調で来るのか。 旦那だったよ。 店が、仕舞いになった。 何で、呼びに来ないんだ。 どうなっているんだ。 寝静まる。

一睡も出来ない。 飛び起きると、竹箒で店の前を掃き始める。 何ですか、番頭さん、掃除はあたいがいたします。 貞吉さんは帳場に座って。 文字が、目に入ってくるもんじゃない。 あと一年だった、別家だった。 何で、いいつけてこない。 人違いか。 旦那が嗽手水を済ませ、煙草を一服。

貞吉、番頭さんに、お暇でしたら、奥へ顔を出してもらいたいと。 あと一年、何であの時、土手に上がったんだ。 番頭さん! さっきから、奥で旦那がお呼びで。 うるさい、今行くと、そう言っとけ。 うるさい、今行くと、そう言っとけ、と言ってました、今朝の番頭さん、おかしいんです。 番頭さんがそう言っても、お前は、直ぐにお越しになります、と言わなきゃいけない。

番頭さんですか。 今、お茶を淹れますんで。 そう、かしこまらないで、遠慮は外でするものだ。 今日は、大丈夫ですか。 世間話でもしましょう。 年を取ると、どこにも行きたくない。 本当に華やかでしたねえ、向島。 自分が楽しみで飲んだのかどうか、わかりますよ。 お仕事なら、お金はひけをとっちゃあ、いけません。 昨日の使い方を見ると、大丈夫だ。 寝てないでしょ、私も寝てない。 信用してたから、帳面に目を通してなかった。 昨夜は、見させてもらいましたよ。 あんな大遊びをして、これっぽっちも帳簿に穴が空いてなかった。 お前さんは、お前さんの器量で遊んでいたんだ。 偉いね、あんた、ワッと使える度胸、いい番頭におなりになった。 九つ、宗助さんに連れられてやって来て、寝小便の癖があった、死んだ婆さんがお灸をすえる、灸点を付けるんだが、色が黒いので場所がわからず、お白粉で印をつけて、お灸した。 算盤の二桁の寄せ算が出来ない、お使いに出せば、行くところがわからなくなる。

旦那とか、旦那様とか、言うだろう、あれはどういうワケだか知ってましたか。 南天竺の話だ、日本でいう白栴檀(びゃくせんだん)の立派な木があってね、たくさんの人が集まって、その香りを楽しんでいた。 その木の下にはナンエンソウ(南縁草)が生えていたんだが、ある人がそのナンエン草を刈ったら、栴檀が枯れてしまった。 白栴檀のおろす沢山の露が、肥やしとなって、ナンエン草がはびこる。 そのナンエン草が、白栴檀を大きくする。 持ちつ、持たれつなんだ。 まあ、人は一人では暮らせない、支え合うんだ。 白栴檀の檀と、ナンエン草のナンで、壇ナン、檀那(旦那)という言葉になったんだそうですよ。

 この店では、私が白栴檀の木、あなたがナンエン草だ。 私はね、お前さんに露を落としたつもりだ。 店へ行くと、あなたが白栴檀、店の者に露を落とす。 無駄かも知れないけれど、あなたが、露を下ろしてやっておくれ。 白栴檀が萎縮しているようだ。 来年の別家まで一年、店のナンエン草、店の者を何とか育ててもらいたいと思って、お願いした。

 昨日の長襦袢、友禅の別染め、高いでしょう。 旦那様、(両手をついて)申し訳ございませんでした。 泣くほどのことじゃない。 でも昨日、妙なことを言ったね、長々ご無沙汰を申し上げておりましたって。 何で、あんなことを言ったんだい。 もう、これが百年目、だと思いました。

『アナウンサーたちの戦争』のアナを知っていた<小人閑居日記 2023.10.12.>(都合で、11日に発信しました。)2023/10/11 05:30

 敗戦記念日の前日、8月14日に放送されたNHKのドラマ『アナウンサーたちの戦争』(脚本・倉光泰子、演出・一木正恵)を録画しておいたのを、ようやく見た。 日本のラジオ放送は1925(大正14)年に始まったから、二年後には百周年を迎える。 実は「等々力短信」の前身「広尾短信」は1975(昭和50)年に創刊したから、それで二年後には五十周年を迎えることになる。 ラジオ放送の半分、思えば長く続けてきたものだ、何とかそれまで元気で続けていたいと、思う。

 私は長く生きているので、『アナウンサーたちの戦争』に登場するアナウンサーたちの内、知っている名前が何人もあった。 戦後、物心ついた頃は、ラジオ放送の時代だったからだ。 主人公の和田信賢(森田剛…宮沢りえの夫と聞いていたが、顔は馴染がなかった)、妻になる大島(和田)実枝子(橋本愛(語りも)…大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一の妻)、館野守男(高良健吾)、今福祝(浜野謙太)、志村正順(大東駿介)、松内則三(古館寛治)だ。  和田信賢は「話の泉」の司会で、志村正順、今福祝(はじめ)はスポーツ中継で、和田実枝子は子供番組などで、館野守男は解説委員として記憶している。 これは当然聴いていなかったが、ワダチン和田信賢は、「双葉破る!双葉破る!双葉破る! 時、昭和14(1939)年1月15日! 旭日昇天、まさに69連勝。70連勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭・安藝ノ海に屈す! 双葉70連勝ならず!」と叫んで実況、松内則三は、戦前の六大学野球で「夕闇迫る神宮球場、ねぐらに急ぐカラスが一羽、二羽、三羽」の決まり文句で有名だったという。(なお、「前畑ガンバレ」は河西三省アナウンサー)。

 和田信賢アナは、酒豪で知られ腎盂炎を患っていたが、1952(昭和27)年ヘルシンキのオリンピック中継に派遣され、実況を終えて帰国する途中、五輪期間中に白夜で睡眠不足となっていた疲労の治療で入院したパリ郊外の病院で8月14日に客死した(享年40歳)。 診察した日本人医師は加藤周一で、容態はかなり重篤、和田はその直後に亡くなったと、加藤周一の『続 羊の歌』にあるそうだ。