山野之義 前金沢市長の講演を聴く2023/10/20 07:10

 宿泊したKKRホテル金沢での夕食前に、金沢在住の案内役お二人とのご縁で、前金沢市長の山野之義(ゆきよし)さんの講演『慶應義塾と石川県の接点』を聴くことができた。 山野さんは金沢市ご出身の61歳、1988(昭和63)年慶應義塾大学文学部仏文科卒、ソフトバンクに1994(平成6)年まで勤務、翌年金沢市議となり4期、2010年12月から金沢市長を4期務め、現在はソフトバンクの戦略顧問をなさっている。

 ご講演は4項目が用意されていて、(1)谷口吉郎(金沢市生まれ)、谷口吉生(塾員)父子と慶應義塾の建築『谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館』については、このブログの10月16日に、(4)明治2(1869)年に金沢の「大手町二十番地」にできた「慶應義塾修学所」については、10月15日に書いた。 あと2項目(3)と(2)について、少し書きたい。

    (3)卯辰山の公園整備
 「慶応3(1867)年加賀藩14代藩主前田慶寧(よしやす)が、福沢諭吉の『西洋事情』に触発され、大衆のための諸施設(養生所・修学所・芝居小屋など)の整備と天満宮の造営を目的に開発したことから始まり、大正3(1914)年2月に開園しました。」(金沢市ホームページより) 金沢には、二つの川と三つの台地がある。 犀川(男川、よく氾濫したので)と浅野川(女川、20年前氾濫したけれど)。 寺町台、兼六園の小立野台、卯辰山。 卯辰山のジグザグのW(ダブル)坂については、四高(しこう・第四高等学校)柔道部の練習に使った井上靖の自伝的小説『北の海』に詳しい。

    (2)石川県河北郡津端町の「津端町民の誓(ちかい)」(昭和43(1968)年11月3日制定)
その誓は、津端町のホームページにこうある。

「わたくしたちは、田園都市津端町が県の中央に位して交通の要衝にあたり、歴史と伝統に輝く町民としての誇りと責任を自覚し、祖国が生んだ先哲 福沢諭吉先生の遺訓を実践して、郷土の繁栄をねがい、平和と文化の香り高い津端町を建設することを誓います。
(福沢諭吉訓)
1 世の中で一番楽しく立派な事は一生を貫く仕事を持つことである
1 世の中で一番みじめな事は教養のないことである
1 世の中で一番淋しい事は仕事のないことである
1 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事である
1 世の中で一番尊い事は人のために奉仕して決して恩に着せないことである
1 世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情を持つことである
1 世の中で一番悲しいことはうそをつく事である
(昭和43年11月3日制定)」

 山野さんは、石川県の一つの町が、「町民の誓」の中に「祖国が生んだ先哲 福沢諭吉先生の遺訓を実践して」、郷土の繁栄をねがい、平和と文化の香り高い町を建設することを誓っていることを、福澤諭吉協会のわれわれに知らせてくれた。 同時に、他のホームページを参照して、「福沢諭吉訓」に疑念のあることも、言い添えられた。

 私は、このブログでしばしば指摘しているけれど、「福沢諭吉心訓」七則といわれるものは、偽作であり、慶應義塾のホームページにも、その旨書かれている。 今年1月10日の第188回福澤先生誕生記念会での、福沢家挨拶に関して、福澤克雄さんの、福澤「心訓」発言に驚く<小人閑居日記 2023.1.17.>を書いていた。 福沢研究の第一人者、富田正文先生は『福澤諭吉全集』第二十巻附録(昭和46年5月)に、こう書かれた。 「惜しいことにその作者は自分の名の代りに福沢諭吉の名を借りて来たばかりに自分の創作した訓えの一つにそむく結果となってしまった。その訓えとは『一、世の中で一番悲しい事はうそをつくことである』」 残念ながら、それは昭和43年の「津端町民の誓」制定の3年後のことだった。