東郷茂徳外相は苗代川の朴家の出2008/01/11 08:21

 鹿児島旧士族「沈寿官」家を描いた「故郷忘じがたく候」で、司馬遼太郎さ んは、この村びとの驚嘆すべき頑固さが、370年前から今日にいたるまで、そ の韓国風の姓名を変えようとしないことに表れているとした。 明治後、多少 例外もできた。 村の中でも名家とされる朴家は東郷という日本姓に変えた。  その家から大日本帝国最後の外務大臣東郷茂徳が出た。 萩原延壽さんが、そ の「評伝」の仕事で、馬場辰猪、陸奥宗光、アーネスト・サトウのほかに、ち ょっと違和感がある人物を扱っているなと私が思った、あの東郷茂徳である。  司馬さんが最初にこの村に行った時、小学校の通学路に木製の標語の杭を見つ けた。

 「うそを言うな。負けるな。弱い者をいじめるな。東郷先輩につづけ、美山の子」

 司馬さんは、島津のことだから当然東郷平八郎だろうと思ったが、後で聞け ば、朴家の東郷茂徳だったという。

 ウィキペディアで「苗代川」を見たら、こんなことが書いてあった。 明治 維新に際して、ここから部隊が出動しているにもかかわらず、ここの住民のほ とんどが「平民」とされた。 過去の経緯から当然「士族」として扱われるも のと思っていただけに衝撃を受け、たびたび鹿児島県に士族編入を願ったが、 却下された。 朴壽勝があきらめて、東郷氏の士族株を得て日本人姓を取得し たのは、明治20(1887)年、最後の士族編入申請が却下されて程なくの頃だった。  朴壽勝の息子が東郷茂徳で、生前の茂徳は郷里が抱えた複雑な事情と普段の寡 黙さもあって、家族にはこの話をほとんどしなかったという。