待賢門院の子、後白河法皇2008/03/21 07:27

 新聞の古い切り抜きを掻き回していたら、歌人の尾崎左永子さんが『梁塵秘 抄』を「たいせつな本」にあげているのが出て来た。(朝日朝刊2007.5.13.)  『梁塵秘抄』は、後白河法皇が編んだ「今様」の歌謡集。 「今様」とは当世 風のことだから、つまり流行歌。 「平安末期の戦乱の中、たくましく、また 浄土を信じて生き抜いた都の人々の哀歓を、じつに率直に伝えてくる。遊女の 歌も多い」 そして、「この庶民的雑芸を集大成したのが、あの型破りの帝王、 後白河院だということも興味をそそる」と。

 後白河院は、待賢門院璋子の産んだ、鳥羽天皇の第四皇子雅仁(まさひと) である。 『梁塵秘抄漂游』(紅書房)という本まで書いたという尾崎さんによ れば、「昼夜かまわず今様を熱唱しつづけ、のどを破ること三度。さしずめカラ オケ狂の部屋住み皇子、という立場だったのが、ひょんなことから帝位に押し 上げられる。「暗愚の帝」などと貶(おとし)められながら、ご本人は平気な面構 えで今様を習いつづけ、収集し、分類し、歌謡集と解説全20巻を、着々と作 り上げていく。三年後に帝位を下りると院政を布き、平清盛と専制を争いなが ら政治的な権謀術策を駆使する。平氏と源氏を争わせたり、身代わりを置いて 危機を脱したり、まことに変わり身がはやい。その中でもなお今様狂いは続く」 「しかも『梁塵秘抄』の他にも『年中行事絵巻』や『千載和歌集』などの大著 が編まれているのだ。その知力、体力、判断力、実行力に圧倒されてしまう」

 西行・佐藤義清の母方の祖父、源清経が今様の名手で、美濃の青墓の宿で目 井という遊び女と、その養女の乙前を招いて、今様を聞いた。 そして目井と 同棲、彼女が老いさらばえても大事にした。 乙前は後白河法皇に今様を教え た、と白洲正子さんの『西行』(新潮文庫)にあった。