福沢諭吉の漢文修業2009/12/14 07:32

齋藤希史さんの「文体と思考の自由―福澤諭吉の射程」の講演、昨日のが序 で、これから本題に入るのだが、以下の文中、レジュメにある見出しを《》、斉 藤さんによる要約を〔〕で示すことにする。

《不飾自在の文章》

 中江兆民は『一年有半』で福沢の文章について「福澤文天下之れより飾らざ る莫(な)く、之れより自在なる莫し。其文章として観るに足らざる処、正に 一種の文章也」と、旧来の〔修辞からの自由〕な〔文章ならざる文章〕と評し、 「やさしく、わかりやすい」というのとは違う評価をしている。斉藤さんは、 本質かもしれない、と。

《漢学者の父》

 父が諭吉の名を取った『上諭条例』は、単に四書五経程度のものではない特 殊な本で、社会性の強い実用的な文章。

《漢文修業》

 〔晩学 素読と会読〕福沢の実は遅い十四、五になってからの勉強がプラス に作用した。 朝の「素読」を教えてくれた人と、昼からの「会読」(中身の議 論)をすると、経験の違いもあり必ず勝つ。 〔史書 左伝 「左国史漢」〕「左 国史漢」(春秋左伝と国語(春秋時代の国別の記録を集めた書、21巻)と史記 と漢書。中国史書の代表的なもので、日本では平安朝以来、文章家の必読書と された。)江戸末期、歴史の中から自分たちの時代を考える歴史熱が、中国より も強かった。 儒学だけでなく、「左国史漢」を読んで、わくわくしていた。 読 む中で、世の中をどう変えるのか、といった考えが培われた。 福沢は歴史書 が好きで、ことに「左伝」が得意、十一度び読み返した。 司馬遷「史記」は 面白くてわくわくする、いわば情の歴史だが、「左伝」はそうでもなく、歴史の 意味や流れを把握する、いわば理の歴史だ。 福沢の軸足はここ、理によって 読むところにあった。 それは漢学も、洋学も関係なく、通用する。 〔頼山 陽 経義と詩文〕頼山陽の「日本外史」は師・白石照山の影響もあり、軽視し ていた。 詩に才能を托したり、それで世に出ようというのではなかった。