福沢の「新しい文章」の工夫2009/12/15 08:03

《漢学から洋学へ》

 福沢は『自伝』で「人の読むものなら横文字でも何でも読みましょう」と長 崎に行き、松崎鼎甫という薩摩の医学生にオランダ語の初歩を習うが、漢書を 読むなら自分が数等上流、字を読み義を解するのは、漢蘭同じだろうと考える。  福沢にとって、漢学は大きな土台であり、ものの見方、学び方、考え方は、洋 学にも共通していた。〔才能の自負〕〔学問の普遍〕

 《新しい文章》

 福沢は『福澤全集緒言』で文章著訳の工夫について述べている。 「日本国 中に武家多しと雖(いえど)も大抵は無学不文の輩のみにして、是れに難解の 文字は禁物なり」。 緒方洪庵は、翻訳は辞書などを使わず、自分の知っている 言葉だけにし、字を忘れた時は俗間の節用字引*で事足りる、と教えた。 師の 教えに従い、難解の文字を避け平易を主にしたが、少年の時から慣れた漢文の 習慣を改めて、易しく書くのはかえって骨が折れ、苦労して、意識的に通俗に している。 学のないふりをし、〔故意による無頓着〕〔漢文との距離 西欧語 の経由〕

 (1)漢文の漢字の間に仮名を挿しはさむ。(2)俗文中の「候(そろ)」の文 字を取り除く。 二つのやり方があるが、(1)は、仮名こそ交っているがやは り漢文なので、文意を解するのが難しい。 (2)は、俗文俗語の中に「候」 の字がなければ、その根本俗なるが故に俗間に通用する。 これを齋藤希史さ んは、福沢のたいへんな着眼点だとする。 候文はもともと書簡文で、初学者 の読み書きの入り口(往来物という手紙の文例集で学んだ)から、幕府のお触 書までが、これ。 話すにせよ、書くにせよ、少し上のパブリック(社会生活 に必要)な部分が必要で、候文はその入り口。〔候文の位置〕

 福沢の文体は、あくまでも書き言葉で、話すように書くのとは違う。〔俗文体 ≠言文一致体〕

《蓮如「御文章(おふみさま)」》

 福沢が平易な仮名交り文の参考にしたという「御文章」も消息文の形である。〔消息文の系譜〕 上*の節用字引は手紙を 書くためにも用いられた。〔節用集 往来物〕