ピアニストと時代、今の若い演奏家2014/06/27 06:30

 6月第3金曜日恒例、慶應三高校新聞会/新聞部のOBOG会「ジャーミネー ターの会」が日本外国特派員協会であった。 今年は三つ下の年代が幹事で、 幼稚舎・中等部で一緒だったというピアニストの中村紘子さんの講演を聴く。  演題は「ピアニストだって冒険する」。

3歳で、桐朋学園音楽科の前身となった『子供の為の音楽教室』第一期生と して井口愛子氏に師事。 10歳からレオニード・コハンスキー氏に学ぶ。 早 くから天才少女として名高く、全日本学生音楽コンクールの小学生部門、中学 生部門と優勝を重ねたのち、慶應中等部3年在学中に、第28回音楽コンクー ルにおいて史上最年少で第1位特賞を受賞。 ただちに翌年、NHK交響楽団 初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビューした。 その後、ジ ュリアード音楽院で日本人初の全額奨学金を獲得、ロジーナ・レヴィン女史に 師事。 第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞と併せて最年少者賞を 受賞。 以後今日に至るまで、中村紘子の名は日本のピアニストの代名詞にな り、その演奏は国内外3700回を超える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けてい る、と案内のプロフィールにあった。

中村紘子さん、今年はデビュー55周年だそうで、秋にはサントリーホールを 始め、記念のコンサートをなさるそうだ。 われわれは、神武天皇以来の良い 時代を過ごすことが出来たのではないか、という。 ピアノ、西洋音楽をやっ てきた。 明治時代、西洋音楽を取り入れなければというので、東京音楽取調 所が出来た。 政治家は花柳界のチントンシャンしか知らず、音楽を教育に取 り入れようと、宮内省の雅楽部にピアノやヴァイオリンを練習させて、芸大の 先生にした。 外国の賓客を招いての晩餐会などで、雅楽のあと、急いで洋服 に着替えて、ブルーダニューブかなんか演奏するのだが、メチャクチャにへた くそ。 それがクラシックの始まり。 大正時代に多少レベルが上がったが、 軍国主義の時代になり、男子一生の仕事ではないとされた。

時代がいかに大切か、日本が平和で高度経済成長をなしとげる時代という幸 運に恵まれた。 今の若い世代の演奏家は、身体能力が上り、テクニックはあ るが、心に訴えるものがない。 12歳~16歳は素晴らしいのだが、成熟に欠 けている。 経済の世界でもそうらしく、住友生命の総代会(?)で会う松下 の跡取の方も、今の30代はわれわれの20代で、幼いと言う。 社会全体がそ うで、大人になるのを拒否したような男たちがいる。 ゆるキャラ、AKBヨン ジュウハチと、お子さまでいたい、成熟するのを遠慮するところがある。 そ れでやっていけるのだから、日本は幸せな国だ。 そのピアノが、心を打つは ずがない。 聴衆は、尋常ならざるものを見たい、聴きたいのだ。 最高のピ アニストと言われたホロヴィッツ、人間的には嫌なおっちゃんだったが、ピア ノだと許される。 パガニーニも、ケチな嫌な奴だったそうだが、その演奏に は皆、夢中になった。 日本画家の加山又造が好きだ。 彼の絵には99%の高 潔さに加え、一滴の悪魔の血が混じっている。 今、そういう人は少ない。 日 本は、天使ばかり、揃っている。(つづく)

コメント

_ 轟亭(中村紘子さん) ― 2016/07/29 07:40

 今朝、中村紘子さんの訃報に接した。 大腸がん発覚後まもなくの一昨年の6月、お話を聴いて、二日間ブログに書いていたので、コメントを付けておく。 合掌。

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