折口信夫『琉球国王の出自』2015/01/07 06:33

 そこで、保坂達雄東京都市大学名誉教授の講演「昭和十年代の折口信夫―『琉 球国王の出自』を中心に―」である。 折口信夫は、昭和10(1935)年12月 から昭和11年1月にかけて40日間、第3回沖縄探訪旅行をし、那覇・名護周 辺を探訪、久高島・伊平屋島・伊是名島にも渡った。 国語教育部会の国文学 講習会、沖縄国語研究会の万葉集講習会で講義し、滞在中に「学会における沖 縄」「過去及び将来における沖縄の宗教と芸術」の講演を行った。 帰京後、2 月8日に國學院大學で「琉球国王の出自」と題する講演を行い、7月「琉球国 王の出自―佐敷(さしき)尚氏・伊平屋(いへや)尚氏の関係の推測―」(『南 島論叢』昭和12年7月・沖縄日報社)を発表した。

 佐敷尚氏……第一尚氏(1429年~1470年)

 伊平屋尚氏……第二尚氏(1470年~1889年)

 伊平屋尚氏は王位を簒奪し、両者の間に、血縁的つながりはない。 中国が 易姓(統治者の姓がかわること)を嫌う。

 折口信夫は、(結論的には)琉球国王の出自が九州肥後国にあると推定して、 その足跡を辿る。

 (1)地名や嶽名の一致や類似――他処からの部民(べみん)移動の将来物。  国王が王城の出入りに祈願する園比屋武御嶽(そのひやふ うたき)――伊平屋 島勢理客村「タノカミ御嶽御イベ 神名 ソノヒヤブ」      (2)王朝最高位巫女の場天(バテン)ノロから聞得大君(きこえおおきみ) への神名の譲渡。 聞得大君は、王の姉妹または王女の中から任命され、第二 尚氏で国王と並ぶ地位。 (伝承では)「佐敷場天祝(バテンノロ)の神名は、 元日白(テダシロ・太陽神を祀る信仰)であつた。よなはし大神と改まつたの は神託によるとある。而も、てだ白の名は、早くから聞得大君の神名となつて 居たと言ふ事なのである。此は昔、聞得大君に譲り奉つたと同時に、「神」を伊 平屋尚氏に譲り、其神に事へる職を、第二王朝の最高巫(ふ)に譲つたことを 暗示する。」(折口信夫「琉球国王の出自」) 王権の交代と、宗教権の譲渡があ った。

 (3)佐銘川大主伝承と尚円王金丸の伝承との類似。 佐銘川大主伝承―― 元祖佐銘川大主は伊平屋、伊是名島に生れる。農民たちによる殺害計画から逃 れ、今帰仁の浜に辿り着く。その後、夢の中に現れた伊平屋の老翁の指示に従 い、辺戸の岬を漕ぎ回り、佐敷場天の浜に着く。(「佐銘川大ぬし由来記」)  尚円王金丸の伝承――伊平屋、伊是名首見の人。農耕に神の助けがあったの を島民に妬まれ、白髪の翁の指示により島外に脱出する。(『中山世鑑』巻三)

 (4)おとほしの信仰。 「沖縄では、始終、おとほしといふ事を申します。 とほすといふは、遙拝する事であつて、此土地から向ふへかけておがむ、とい ふ事でせう。その遥拝所の著しいのは、海岸であつて、大きな霊地では、海岸 に島があつて、其処から神が来る、と考へたのです。島のない所では、岬を考 へてゐます。(中略)沖縄本島で一番大事な所は、北―やまと―の方を向いた所 であつて、神が北から来ると考へました。あがるいの大主は東方の主神といふ 事です。これが一転して、北からStrangerが来る、とも考へられて来たので す。」(折口信夫「春来る鬼」(『旅と伝説』昭和6年1月))  遠つ神を遙かに拝む。 久高島の彼方から来訪するニライ・カナイの神を迎 える。 北方は、伊平屋島を拝む(第一王朝、第二王朝に限らず)。 これが国 王は伊平屋出自でなければならないという信仰的理由。

 (資料の地図によると、久高島は沖縄本島の南(島尻)、那覇の東、馬天港の 外、斎場(せいば)御嶽の沖にある。 伊平屋島・伊是名島は、沖縄本島の北 (国頭)、運天港の北方沖にある。)           (つづく)