馬治の「景清」2015/12/02 06:26

 お目のご不自由な方がいらっしゃったら、お詫びいたしますがと、馬治は始 めた。 定次郎は腕のいい木彫りの職人だったが、目が不自由になった。 そ れでも杖を担いで、往来を歌って歩く。 ♪明いた目で見て気をもむよりも、 いっそめくらが気楽じゃないか。 定さん、犬が寝ているから、右へ避けろ。  石田の旦那ですか、さっきもそう言われて、騙された。 ワン、ワン! ワン、 ワン! いましたね、長い犬だ、さっき床屋の前で尻尾を踏んで、今、頭を踏 んだ。 別の犬だろう、黒い犬だよ。 白い犬だって、墨を塗りゃあ黒くなる。  強情だね、目の具合はどうなんだ。 花井先生が、匙を投げた、駄目だって。 

 それで定次郎、神仏にすがろうと、赤坂円通寺の日朝様に三七、二十一日通 いつめ、ご利益がある満願の日の朝、目の前をよぎるものがあった。 有難い と、お礼のお題目を唱えていると、蝋燭の数も分かるようになってきた。 お 袋が来て、夜も更けたので一緒に帰ろうというのを、追い返し、さらに「南無 妙法蓮華経」を唱えていると、隣で女の声で「南無妙法蓮華経」。 聞けば、母 一人子一人の同じ境涯、母が生きている内に、目を明けてもらおうと、熱心に お題目を唱える。 共にご利益に預かりましょう、「南無妙法蓮華経」「南無妙 法蓮華経」、掛け合いだね。 すると来ました、女の化粧の香。 トーーンと突 くと、トーーンと揺り返し、ははは、この女はものになる。 手を握ったとた んに、パラッとまた真っ暗になって、前より見えなくなった。 やい、日朝坊 主、やきもち坊主に頼るもんか。

 石田の旦那、仏罰だ、もう良くならない、揉み療治でも覚えて、太く短く生 きますか。 お前さんは、物によっては親父さんよりよい木彫りをする、これ ぞというのを彫り上げてみたいだろう。 鑿(のみ)を握ってみたが、腕が傷 だらけ。 上野の清水の観音様に、願掛けをしたらどうだ。 平家の侍の景清 が、源氏に捕らえられて由比ヶ浜で打ち首になるところを、刀が折れて助かっ た、源氏の世は見たくないと、自分の目をくりぬいて、京都の清水に納めた、 その暖簾わけだ。 おすがりしてみますか。 百日、二百日、三百日、命あら ん限り、おすがりするように。

 満願百日目、観音様、定次郎でございます、百日お賽銭も上げました、きっ かけは一(ひ)の二(ふ)の三(み)、ポンポンで、目を明けて下さい。 「南 無観世音菩薩」一の二の三、ポンポン。 口は開いたけれど、目が明かない。  観音様、目を明けて下さいと、お願いしております。 もう一ぺんやります。  「南無観世音菩薩」一の二の三、ポンポン。 もったいぶってないで、パーー ッと明けて下さいよ。 もう一ぺんやります。 「南無観世音菩薩」一の二の 三、ポンポン、「南無観世音菩薩」一の二の三、ポンポン。 明かねえのか、お い観音、こんな大きな厄介者持っていて、小さな目もあけられないのか。 百 日、無駄にしたよ、この賽銭泥棒、詐欺だぞ。 ボン! 頭、打つな。 定さ ん、後を付けて来れば、こんなことだ、あきれかえったよ、帰りましょう、よ くお詫びをして…。 旦那は、この観音様とグルでしょ。 定さん、帰りまし ょ。 帰れないんだよ、畜生、昨夜、お袋がこの縞物を仕立ててくれた。 こ の縞の一本一本がはっきり見えるように、と。 尾頭付に、一本(酒)用意し ておくからってね。 死にますよ、私は。 お袋も、後を追うだろう。 家へ おいで、おっ母さんとお前を、わしが引き取るよ、帰ろう。 おぼえてろ、観 音!

 不忍池の弁天様まで下りると、本郷台に黒い雲がポッと出て、細引きのよう な雨が降り出した。 石橋に杖をついた途端にドーーンと、落雷。 定は倒れ、 旦那は逃げ帰った。 仏罰は恐ろしい。 寛永寺の鐘の音に、ようやく目を覚 ます。 旦那…、どこかへ行っちゃった。 一人じゃあ、どうすることも出来 ねえ。 きれいな月だなあ、さっきの雨が嘘みたいだ。 月だ、月だ、月だ、 月だ、目が明いたんだ。 一、二、三、四、(と、指を数えて)一本足りないか、 一、二、三、四、五、あった、有難うございます。 家に帰って、母親と手を とりあって喜んだ。 目のない方に目が出来た、お目出たいお噺で。