松山の漱石、月給80円の嘱託教員だった2022/08/19 07:06

 夏目漱石の、月給80円の嘱託教員だった話は、以前、加藤詔士先生から頂戴した『漱石と「學鐙」』(小山慶太編著・丸善出版・2017年)に、半藤一利さんが書いていた。 『漱石と「學鐙」』は、丸善の明治30年創刊の広報誌「學鐙」創刊120年、夏目漱石生誕150年の記念出版で、「學鐙」に載った漱石自身の原稿と漱石関連の記事25本を収録した本だ。

 半藤一利さんの「月給八〇円の嘱託教員―漱石の松山行き・探偵メモ」である。 漱石が『坊つちゃん』を書こうと思ったとき、校長は「狸」、教頭は「赤シャツ」、画学は「野だいこ」、英語の「うらなり」、数学の「山嵐」と、綽名でいこうという趣向を思いついたのは、松山中学校の教師時代に耳にすることのあった「教師数え歌」にある。 あまり上手とは思えないが、「なもし」の腕白小僧どもが知恵をしぼって作ったものだ。

  一つとや 一つ弘中シッポクさん
  二つとや 二つふくれた豚の腹
  三つとや 三つみにくい太田さん
  四つとや 四つ横地のゴートひげ
  五つとや 五つ色男中村さん
  六つとや 六つ無理いう伊藤さん
  七つとや 七つ夏目の鬼瓦
  八つとや 八つやかしの本吾さん
  九つとや 九つコットリ一寸坊
  十とや  十でとりこむ寒川さん

 漱石が松山中学に赴任したとき、月給「60円」の住田「狸」校長よりも20円も高い80円という高給の嘱託教員だった。 漱石ときに28歳、東大出の学士様の威力は大したものだった。 漱石が「鬼瓦」とされたのは、鼻のあたりに子供のときかかった疱瘡の跡があったからだ。

 シッポクとは、松山の老舗うどん屋「亀屋」のシッポクうどんのこと。 小唐人町と湊町一丁目の角にあるこの店で、松山着任直後の数学教師弘中又一(月給20円)がシッポクうどんを四杯食った事実がある。 漱石は『坊つちゃん』の中では、江戸っ子風に天麩羅うどん四杯に直している。    (つづく)