三島由紀夫、丹羽文雄、吉行淳之介、八木義徳、野口冨士男2022/08/29 07:10

 吉村昭さんの先輩作家とのかかわり。 学生時代に同人雑誌に発表した「死体」を、三島由紀夫がほめてくれたのが、自信につながった。 文学の師の丹羽文雄の存在も大きい。 丹羽は20数年にわたって私費で同人雑誌『文学者』を発行し、発表の場があったことで、吉村は書きつづけることができた。 丹羽は吉村の文学性と社会性を早くから見抜いていた。

 吉行淳之介の作品に魅了され、家を訪ねたことがあった。 吉行が編集を担当する『風景』という雑誌から短編依頼があり、それは吉行の好意によるものと書いている。 学生時代から交流のあった八木義徳には、小説の批評だけでなく、文学に携わる人間の姿勢を教わり、「先生」と呼んでいた。

 八木義徳の名前が出たので、私はちょうど一年ほど前、8月24日から27日に書いた『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)の詳細な「交友録」をぱらぱらやってみた。 これは野口冨士男の「自筆年譜」「日記」をもとに編まれているので野口が軸になっているが、八木義徳も多く出てくる。

 昭和45(1970)年5月2日、野口の八木宛書簡に、「五月号の吉村君の小説の目次の題「少・年の窓」が「小・年の窓」になっていますね」とある。  註記に、「吉村君」は「吉村昭(よしむらあきら・1927~2006)小説家。八木は吉村・津村節子の仲人を務めた」とある。 八木義徳「先生」は、仲人だったのだ。

 昭和41(1966)年7月15日、八木と野口は、第二回太宰治賞を受けた吉村昭の授賞式に出席している。 野口は、吉村、津村節子とは初対面だった。 久保田正文、栃折女史(装幀家・栃折久美子だろう)とも初対面。 河上(徹)、井伏、木山、開高健等も出席。 和田(芳恵)、吉岡実とシャンゼリゼーで軽食。

 昭和62(1987)年10月31日~11月2日、八木と野口は、吉村昭と「本の国体ブックインとっとり’87日本の出版文化展」支援のため、米子市におもむき、皆生温泉で一泊、二日目は伯耆大山中腹の白雲閣でシンポジュウム。