クニオ、日本文学に目覚め、石坂洋次郎を評価2023/12/02 07:02

 父のジョンは最後の任務を終えて帰還し、一家のベトナム戦争は終わった。 まもなくジョンはグアムの特殊作戦部隊に転属になり、クニオもグアム大学を目指すことになった。 日本語の読み書きは基本ができていたので、本を取り寄せて独学するうちに、日本文学の繊細さに目覚めた。 読書家の母真知子に導かれて、クニオは佳いものを知っていった。

『クニオ・バンプルーセン』には、たくさんの作家の名と、少しの作品名が出てくる。 クニオが「太宰や谷崎よりおもしろく、三島や川端よりも身近な文学を感じたのは石坂洋次郎だった。書くものが先駆的で、若い女性が強く、作品世界がのびのびしている。地方が都会に負けず輝いている。日本文学は総じて暗い印象であったが、古風を嫌ってあけっぴろげであった。」

「戦後まもなく発表した〝青い山脈〟がよい例で、クニオは日本人らしからぬ会話を愉しんだ。英語ならどうということもないやりとりが生き生きとしているのは、当時の日本では新しいからで、思想や発言の自由、個人の尊重、旧弊の打破といったことを未来を担う若者に言わせて歯切れがよい。敗戦によって復活した作家はすでに中年で、それまで国家によって押さえつけられていた信念を一気に吐き出したという気がする。大衆もそうした世界を待ち望んでいたのであろう。」 「大衆受けしたから下等な通俗小説と決めつけるのは、大衆を小馬鹿にする自称崇高な文学者か、識者を気取る世間知らずのすることではないかと疑った。」

「純文学と大衆文学の区別を持たないクニオは「佳いものは佳い」と見る主義で、おとなしい印象の日本女性が大胆な小説を書くのもよいことに見ていた。実際、日本の文壇はそうした女流たちの存在で華やいでいたし、かつて石坂が提唱したように言いたいことを言い、書きたいことを書くようになっていた。」

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