木下恵介監督の『二人で歩いた幾年月』2006/01/07 08:19

 5日、BS2で放送された木下恵介監督の『二人で歩いた幾年月』(松竹・昭和 37(1962)年)を見た。 出演は、佐田啓二、高峰秀子、山本豊三、倍賞千恵子、 久我美子、小川虎之助、岸輝子、野々村潔、菅井きん、三崎千恵子。

 河野道工という人の歌集を映画化したもの。 『雑草の歌』(甲陽書房)とい う本らしい。 昭和21(1946)年、野中義男(佐田啓二)が、戦地から山梨県に復 員してきたところから映画は始まる。 妻とら江(高峰秀子)と小さな息子利幸、 父母(小川虎之助、岸輝子)が待っていた。 道路工夫として働き始める(戦前は 東京で消防署に勤めていた)。 夫婦は貧しいながらも、息子の成長だけを楽し みに、働き続ける。 途中からは、土木事務所に住み込み、妻も小使として働 く。 利幸は優秀で、昭和29(1954)年甲府の高校に進む。(この年中学に入っ た私より、三つ年上なので、がぜん思い入れが深くなった)

 河野道工の短歌が、武者小路実篤の字(ではないか)で、佐田啓二の声をバッ クに、ときどき画面にあらわれる。 素朴な歌である。

  子に残す何一つなき我れ故に子は大学に入れてやりたし

 利幸(山本豊三)は、昭和32(1957)年、京都の大学に進むことになる。 両親 は苦労して毎月5千円の仕送りをする。

  親心子は知らぬかも汽車の窓手を振り笑みて去りし我が子よ

  今頃は静岡あたりと子が発ちし夜半に妻がだしぬけに言ふ

  子の荷物作りし縄が散らばれり今日よりは妻と我のみの家

 だが、昭和33(1958)年、利幸が京都大学に入ってはおらず、受験勉強のため に京都に来たことを手紙で告白してくる。 両親は、それを許し、利幸は京大 に合格する。

  旅行きし子が残したる古きシャツ洗ひて妻が我れに着するも

 3年生のとき、アルバイトに疲れ、単位の取得も進まず、挫折した利幸を、 一旦は山梨に連れ帰ったとら江だったが、なんとか大学を出てくれ3千円余分 に送るからという義男の説得を聞かない利幸を叩き、それが利幸を動かす。  昭和37(1962)年、京都大学卒業式に、両親も出る。 「蛍の光」の途中で外 に出た二人「今夜は呑みなさいよ、よくがんばったわ」「お前も今日からお茶が 飲めるな」

  老い古りしこの妻と添ひ二十五年子をたゞ一人育てたるのみ

   その2年後に大学をノーテンキに卒業した私は、両親のことを思わないわけ にはいかなかった。