陸軍が米国の軍事力・国力を知らなかった訳 ― 2006/09/26 08:13
これも日曜朝BS2の『週刊ブックレビュー』で知り、8月15日の「ある本 が書かれた理由」と16日の「硫黄島からの手紙」に書いた、梯(かけはし)久美 子さんの『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)を読んだ。 予 想通り、素晴しい本だった。
まず訂正と補足。 8月15日の日記に、梯久美子さんは「ずっと編集の仕事 をしてきた」と書いたけれど、「フリーライターとして、新聞、週刊誌などで数 多くのインタビューや取材記事を手がける。書籍の編集も手がけ」てきた人だ った。 16日「梯久美子さんは、栗林忠道総指揮官の娘・たか子さんと一緒に、 硫黄島に行った。」と書いたけれど、「一緒に」行ったのではなく、「たか子さん が硫黄島に行った時の話を聞いた」のだった。
日本はなぜ、圧倒的な物量を誇るアメリカと戦争したのか。 それに関係す る重要な事柄で、私の知らなかったことが『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・ 栗林忠道』に書かれていた。 日本陸軍には米英を知悉した軍人が少なく、そ れは陸軍の高級将校の養成システムとも関係があった、というのだ。 陸軍幼 年学校から陸軍士官学校へ進み、さらに陸軍大学校を卒業するのが、陸軍の典 型的なエリートコースだった。 これとは別に、陸軍幼年学校を経ずに、普通 の中学校(旧制中学)から陸軍士官学校に進むことができたが、出世の面では圧 倒的に幼年学校出身者が有利で、幼年学校卒が本流、中学卒は傍流という考え が根強くあり、陸軍の中枢ポストの多くは幼年学校出身者で占められていた。
この陸軍幼年学校の語学カリキュラムにあったのがドイツ語、フランス語、 ロシア語で、昭和13年以前は英語はなく、また日本の陸軍は長くドイツを手 本にしてきたため、幼年学校の生徒の多くはドイツ語を選択した。 海外留学 は、陸軍大学校を優等で卒業した(恩賜の) “軍刀組”の特権だったが、その多 くがドイツに留学した。 これに対し普通の中学校では英語が必修で、そのた め中学校から陸軍士官学校に進んだ者は英語圏である米英に留学することが多 かった。 しかし中学出身者はあくまで傍流とみなされたため、英米をよく知 る軍人が重要ポストにつくことは少なかった、というのである。
栗林忠道は、地元長野の中学から陸軍士官学校に進み、アメリカに留学した。
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