日本とトルコ、友好の起点2006/09/23 07:11

 13日に仲間内の情報交流会があって、「トルコの魅力とその将来」について の話を聴いた。 同期の卒業で、外務省に入り、トルコに前後14年勤務し、 旧ソ連の数か国をカバーするアゼルバイジャン大使も務めた藤原稔由(としゆ き)さんがスピーカーだった。

 トルコは親日的な国として知られている。 それは日本が日露戦争に勝った ことによるものだというのが通説である。 トルコが何度も戦った宿敵ロシア と、アジアの小国日本が対等に戦い、勝利したことにシンパシーを感じるから、 というのだ。 長くトルコの人々と付き合ってきた藤原さんの感想は、若干ニ ュアンスが違うものだった。

 日本とトルコの友好の起点には、エルトゥールル号遭難事件というものがあ った。(以下、人名・地名・細かい数字などは、あとで調べて入れたので、文責 はもちろん馬場にある) 1890(明治23)年9月16日夜半、オスマン帝国(現在 のトルコ)の軍艦が和歌山県串本沖で折からの台風に遭い、座礁して沈没、死 者・行方不明587名を出す大惨事となったが、大島村(当時)の村民が総出で救 助と介護にあたり、生存者69名が救出され生還した。 日本はこの生存者を 軍艦「比叡」「金剛」で無事イスタンブールまで届けた(この軍艦に『坂の上の 雲』の、日本海海戦で活躍する秋山真之大尉が乗っていた)。 そもそもエルト ゥールル号の親善使節団が日本に派遣されたのは、イスラム教国の盟主であり ながら弱体化が目立ってきていたオスマン帝国が、皇帝アブデュルハミト2世 の意志で、日本を自分の陣営に抱きこむため、イスラム教国にしようと考えた からだったという。 それはともかく、義捐金を携えてイスタンブールに渡っ た民間人・山田寅次郎の活動もあって、この事件の被害者に対して示された日 本人の友誼は、日本とトルコの友好関係の起点として、トルコの人々に長く記 憶されることになったのである。