栗林忠道の作戦とその目的 ― 2006/09/27 07:39
硫黄島は、太平洋戦争においてアメリカが攻勢に転じた後、米軍の損害が日 本軍の損害を上回った唯一の戦場だそうだ。 最終的には敗北する防御側が、 攻撃側にここまで大きなダメージを与えたのは稀有なことであり、米海兵隊は 史上最大の苦戦を強いられた。 それは栗林忠道の断固たる統率があったから で、敵将からの評価も高い。
栗林の選んだ方法は、ゲリラ戦だった。 地下に潜んで敵を待ち、奇襲攻撃 を仕掛ける。 どんなことをしてでも生き延びて、一人でも多くの敵を倒す。 いわゆる“バンザイ突撃”を、栗林は厳しく禁じた。
硫黄島を失うことは、日本本土すべてがB29の空襲にさらされることを意 味した。 アメリカに留学して、その国力を十分に承知していた栗林は、自分 たちが米軍を硫黄島に釘付けにして、時間を稼いでいる間に、軍中枢部が終戦 交渉を進めることを期待していたと思われる、と梯久美子さんは書いている。 昭和19年8月に大本営から視察にやって来た陸海軍部作戦部長、真田、中沢 両少将に、その旨の意見具申書を提出したらしい節がある。 少なくとも栗林 には「硫黄島で米軍に最大の出血を強要すれば、終戦交渉に有利に働く」とい う計算があった。 アメリカの世論を視野に入れて、米国民を厭戦気分にさせ ようとしたのだ。 当時のアメリカでは、硫黄島の戦況を国民が固唾を呑んで 見守っていた。 その報道の量とスピードは、当時の日本からは想像もつかな いものだった。 栗林忠道の名は「アメリカをもっとも苦しめた」尊敬に値す る男として、日本でよりもアメリカで記憶されているのだ。
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