慶應女子高の一期生2008/07/10 05:50

 岩下尚文さんの小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣)で、三 島由紀夫の恋の相手になる満佐子は、昭和25(1950)年4月慶應義塾女子高 校に一期生として入学、28(1953)年3月に卒業している。 池田弥三郎さん は、大学国文の教員と兼ねて、女子高でも銀座っ子を看板の結城の着流しで教 壇に立ち、万葉古今の歌を引きつつ、師匠折口信夫譲りの民俗学も惜しげもな く講ずる一方、課外ともなれば銀座に出て、教え子である満佐子たちと小川軒 や煉瓦屋で待ち合わせて歓談したり、たまには一緒に歌舞伎座や映画館に出掛 けるなど、じつに大らかな師弟の交わりを楽しんでいた。 池田先生の肝煎り で生徒たちが演劇をやることになり、新歌舞伎の『修善寺物語』(池田弥三郎・ 戸板康二の監修)と翻訳劇『タンタジールの死』を塾監局で上演した。 打上 げでは、満佐子が自家(赤坂の料亭、梨園の縁戚)の板前に命じて河岸から山 ほどの車海老(さいまき)を校舎に届けさせ、「清崎某」という若い教師が不器 用な手付きで揚げていた、という。

 満佐子としては、共学となった大学の国文科に進むつもりだったが、「女に学 問が要るものか、第一器量に障るじゃないか、お止しよー」と、進学を思い留 まらせたのも、池田先生だった、そうだ。

 女子高を出た19歳、日髪を贅沢とは知らず、毎朝歯を磨くような気で、銀 座まで髪結に通うほかは、花鋏茶帛の稽古も気分次第、何と言って決まった用 はなく、そのくせ派手な気性は外出(そとで)を好み、今日も歌舞伎(しばい) を見物するとあって、朝から身拵えに余念がない。 紐だけでも、久のやと道 明が競って届けるものが、桑の帯留箪笥の引き出しに、つねに百筋余りが整然 と敷き並べられている。 そして出かけた歌舞伎座の成駒屋(うたえもん)の 楽屋で、運命の三島由紀夫と擦れ違うことになる。