“中津へ”(1)中津までの道2009/11/13 07:22

福澤諭吉協会の第44回福澤史蹟見学会、二泊三日の旅で、中津・小倉・下 関・秋芳洞・長門湯本・萩を巡ってきた。 飛行機について恩師・小尾恵一郎 先生から、ああいう重力の法則に反するものには乗るなと教わった。 ご自身 は私の在学中、ハーバードに研究に出かけられたけれど…。 それで飛行機に はなるべく乗らないようにしているのだが、福澤諭吉協会の旅行、今年は中津 が目的地なので往復、飛行機だった。 長年福沢をかじっていて、恥かしなが ら、中津に行ったことがなかった。 これは恩師の教えに反し、命をかけても、 参加しないわけにはいかないではないか。

11月7日(土)8時羽田発(離陸は8時25分頃)の日本航空1783便で大分 空港10時着。 快晴、無風、大分空港は国東半島の海辺、中津方面へ行く間、 国東半島に石仏やお寺の多い(富貴寺(ふきじ)など、今でも65か寺)話を 聞く。 宇佐、中津周辺は肥沃そうな平野が広がり、豊かな土地柄だという印 象を持った。 途中、九重連山らしい特徴ある山並みが見え、あとで運転手さ んに確かめる。

小春日や九重連山ぽこりぽこり

八面山(台形で、どちらから見ても同じ形に見える故の名の由)の金色(か ないろ)温泉こがね山荘で昼食、鱧しゃぶ、鱈白子天麩羅など、豊前海の幸、 山の幸。 新貝正勝中津市長は歓迎の挨拶で、誘致したダイハツ九州中津工場 (平成16年12月操業開始)が35万台規模の生産を続け好調、本耶馬溪町、 耶馬溪町、山国町、三光村との合併も成功、円満円滑に推移していると話した。

青の洞門、耶馬溪へ。 菊池寛の「恩讐の彼方に」は、中学の国語の教科書 で読んだ。 僧・禅海が競秀峰の難所に30年の歳月をかけて、鑿と槌だけで トンネルを掘り進めた。 福沢は明治7年11月17日には日田-耶馬溪-中津 を結ぶ「豊前豊後道普請の説」を発表し、明治27年3月帰郷の時以来、競秀 峰の風景を保全するため、三年がかりで一帯の土地を買収し、ナショナル・ト ラスト運動の先駆けともいわれている。 全国の羅漢寺の本になったという羅 漢寺門前に、つい3日前の4日に建てられた「福澤諭吉羅漢寺参詣記念之碑」 も見てきた。 途中、わが国唯一の八連アーチの石橋、長さ116mの耶馬溪橋 (オランダ橋)があった。