坂本龍馬の「船中八策」2010/09/10 06:54

きのう「船中八策」が、また出てきた。 「後藤象二郎と坂本竜馬」<小人 閑居日記 2010. 8.28.>の最後に「福沢諭吉は慶應2年6月下旬に『西洋事情』 初編を脱稿、初冬に刊行した。 世に広く読まれて、攘夷から開国への転換期 に、多大の感化を与えた。 坂本竜馬も読んだのであろうか、『船中八策』にそ の影響を指摘する人もいる」と、書いた。 それで「船中八策」について、触 れておきたい。

松本健一さんの『日本の近代1 開国・維新 1853~1871』(中央公論社) によると、慶應3(1867)年6月9日、坂本龍馬は土佐藩参政の後藤象二郎と ともに長崎を発ち、船で京都へと向かった。 京都では5月に、薩摩藩が主導 する四侯会議(越前の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城、薩摩の 島津久光)が開かれていたが、まとまらなかった。 後藤の心づもりでは、容 堂に薩摩の武力討幕を阻止させつつ、幕府独裁からの離脱と公武合体路線の選 択を決意させようとしていた。 しかし後藤と龍馬が京都に着いた6月14日 には、山内容堂はすでに帰国したあとだった。 その京都への船中、龍馬が語 り、龍馬が後藤(=土佐藩)の援助のもとに新しく発足させた海援隊の書記役、 長岡謙吉が筆録したのが「船中八策」である。 その全文を引く。

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべき事。

一、上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論 に決すべき事。

一、有材の公卿、諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜い、よろし く従来有名無実の官を除くべき事。

一、外国の交際広く公議をとり、新に至当の規約を立つべき事。

一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を選定すべき事。

一、海軍よろしく拡張すべき事。

一、御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。

一、金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。

以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内万国に徴するに、之を捨てて 他に済時の急務あるなし。いやしくもこの数策を断行せば、皇国を挽回し、国 勢を拡張し、万国と並立するもまた敢て難しとせず。伏て願くは公明正大の道 理に基き、一大英断を以て天下を更始一新せん。

松本さんは、「龍馬の構想する維新国家は、まず幕府が大政奉還したうえで、 朝廷を中心とした統一国家をつくること。上下両院の議会政治によっていっさ いを議してゆくこと。憲法をつくること。中央政府直属の「御親兵」を設置す ること。など中央集権的・立憲制的な構想であった」と解説している。

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