権太楼の「お神酒徳利」後半2011/11/06 05:14

 それで八百屋、大宮の旦那と三島への旅に出たが、いやいや歩くから、小田 原まで十日かかった。 宿の主と番頭が来て、奥の用箪笥の五十両が無くなっ た。 手癖の悪い奉公人がいるのかと思って、奥の離れに全員集めて、荷物を 調べたが、出て来ない。 万が一、お客様の荷物の中に、紛れ込んでいるかも しれないので、お荷物を拝見させて頂きたい。 どうぞ、どうぞ、私の所が角 部屋だから、最初ですか、実はここで寝ている人、ぼーっとしているけれど、 失せ物探しの名人で、この人に頼んだら、ほかのお客さんに嫌な思いをさせな いで済む。

先生、起きて下さい。 朝?夜? 宿の五十両が無くなったんで、占って下 さい。 言ったでしょ、山はダメだと…。 ここは小田原、まだ、山、ないで す。 五十両、こんなちっちゃなソロバンじゃダメ、大きなソロバン、畳一畳 ぐらいの…。 これで、どう。 静かな所で、精神統一しなけりゃあならない。  奥の離れの二階、外はどうなってんの、塀の外は畑と田圃、先は街道に通じて いる。 三両くらい用意して、小粒で、使いやすいように、巾着に入れて、首 から下げられるように。 お米が大切、握り飯にして、大きいのを五つぐらい、 梅干を入れて、竹の皮に包んで、担ぎやすいように。 ワラジが三足要る、提 灯も三丁。 そう、一番大切なのは、ハシゴだ。 私が部屋に入ってから、 一時はガタガタするかもしれないけれど、やがて静かになりますから、誰も来 ないように。

ミシッ、ミシッ。 誰も来ないように言ったのに、誰だ? ごめん下せえや し、と若い女、江戸の偉い先生が卦を見ると聞きやした、勘弁して下せえ。 こ っちへ入れ、後ろを閉めろ。 名前は、お梅。 ほら、ごらん、卦が出てる。  歳は十八。 二・九・十八と出てる。 村の在におっかさんと二人住み、おっ かさんは庄屋の所で働いている。 二、三日前から風邪で寝込んでいるが、薬 代がない。 旦那には、出せないと断られた。 借りようと思って、用箪笥の お金を私が…、あんまり多いので、庭の白幡稲荷様の縁の下に放り込んでおき ました。 勘弁して下さい。 なに、お稲荷様のお祭を三年ばかりしていない。  よし、助けてやる。 給金を倍にして、薬代も出してやる。 誰にも言うな。 拍手を二つして、誰かいないか。 お呼びでございますか。 卦が出ました。  主さん、正座して、私の目を見なさい。 ずばり、言うわよ。 白幡稲荷様の お祭を、三年していないだろう。 手元不如意で。 お稲荷様は、宿をとりつ ぶすと、おっしゃっている。 女中のお梅のおっかさんは、お稲荷様のお使い 姫だ、薬代を出して、お梅の給金も倍にするように。 宿の味噌汁の実が少な くて味が薄い、酒も辛口にしろ。 お稲荷様は怒っていらっしゃる、大切にす るように…。

噂を聞いて、近郷近在から村人が大勢、占ってもらいたいと、おしかけた。  先生は、離れで寝ていらっしゃるんだ、一列に並んで…。 鋤と鍬が紛失(ふん じつ)した、そんなのは自分でやれ。 鶏が紛失した、前の日に首を切って食べ た。 かみさんが、十日前に紛失した。 同じ日に、新田の茂十も逃げた。 ち ょいと、待って。 先生が…、どこを探しても、いない。 先生も、紛失した。

平櫛田中と橋本平八の木彫を見る2011/11/07 04:49

 3日文化の日、前日の夕刊で上野の東京芸術大学大学美術館に、平櫛田中の 同館所蔵作品がすべて並んでいると知ったので、さっそく出かけた。 「彫刻 の時間―継承と展開―」展、6日までというのに、ぜんぜん知らなかった。 東 京芸術大学美術学部彫刻科は、竹内久一、高村光雲の二人の教授の指導で始ま った、前身の東京美術学校創立以来120年の歴史があり、数多くの彫刻家を輩 出している。 この展覧会は、彫刻科の現職教授の企画で、一つは、膨大な芸 大コレクションの中から名品を展示している。 飛鳥・白鳳の仏像から、近・ 現代の彫刻まで、日本彫刻の歴史を一望できる彫刻が選ばれている。 その歴 史に、私の好きな円空は外せないのか、三重県立美術館蔵の「釈迦如来坐像」 と個人蔵の「地蔵菩薩立像」が加えられていた。 もう一つは、名誉教授、現 職教員の作品で、空間を意識的に使って、現代の彫刻のあり様、此処の彫刻観 の違いを提示する、というものだ。 精緻な名品の数々を見たあとで、この部 屋へ行って、「お呼びでない」と違和感を感じたのは、私だけではないだろう。

 展覧会が目玉にしているのは、お目当ての平櫛田中29点と、橋本平八の17 点である。 平櫛田中は、ポスターになっている「五浦釣人」始め「活人箭」 「尋牛」「鏡獅子」「禾山笑」「烏有先生像」「島守」など記憶に残っている作品、 総高2m40cmに及ぶ「転生」もあり、田中の心を通じて良寛、一休、芭蕉、蕪 村(夜半翁)、源頼朝に、その眼を通して橋本雅邦夫人、裸の六代目尾上菊五郎、 三井高福、岡倉天心、市村瓉次郎博士、浅野長勲公に、お会いすることができ た。 それは、濃密で、幸せな時間だった。

 平櫛田中(1872~1979)が107歳まで生きたのに対し、橋本平八(1897~1935) は38歳で死んでいる。 手元に1999年10月の芸大美術館開館記念「所蔵名 品展」の図録があり、今回も当然あった「花園に遊ぶ天女」(1930(昭和5)年) の解説(横山りえ)に、こうあった。 「伊勢に生まれた平八は、神秘性の強い 宗教的感情と詩精神を持ち、そうした自己の意識と世界観が投影された独特の 雰囲気を持つ木彫作品を、十余年の短い間に数多く残した。 「花園に遊ぶ天 女」は、膝を少し曲げ小首を傾けて耳をすます少女の肌には、一面に花びらと 蝶が線刻されている。 台座の周囲には〈樹神〉〈風神〉など13の自然神の名 が刻まれており、平八独自の造形感覚と観念的発想が、全裸の少女を「天女」 という超越的存在にまで高めて、見る者を幽玄の境地にひきいれる。」

谷根千散歩、「乃池」の穴子すし2011/11/08 04:17

 豊かな気持で、芸大美術館を出て、谷根千散歩となった。 和菓子の「桃林 堂」を覗いて、言問通りをつっきり、旧吉田屋酒店と愛玉子(オーギョーチ)の 横を通ってまっつぐ三崎(さんさき)坂の方へ向かう。 まずは家内が前から行 ってみたいと言っていた店が目当てだ。 私が句会などに提げて行く帆布かば んは、山形米沢の牛やという店の製品で、家内がデパートの山形展で見つけて 来た。 丈夫一式なのが気に入って、後に、少し大きなのも買い、小さな方は もっぱら家内が使っている。 その店が、三崎坂のいせ辰の前のあたりに、日 乃本帆布という店を出していると、聞いていたのだ。 帽子をかぶってみたが、 帽子の似合わない顔で、髪もないからズボッと入って「とっちゃん小僧」みた いになってしまう。 結局、底の丸い形の同じような手提げを買わされる。 西 洋美術館の「ゴヤ展」のショップには、ここの小さなバッグにGOYAと入れた のが出ているそうだ。

 谷根千ウォークラリーのようなものが開催されていて、沢山の人がけっこう 早足で歩いている。 角に立った係員が「ご苦労さまです」とか言って、方向 を指示している。 菊見せんべいで、せんべいを買った後、旧藍染川が暗渠に なっている「へび道」に曲がって、家内の知っている魚屋さん経営の小料理屋 に行ったら、木曜休みだった。 それではと、三崎坂に戻って、以前から一度 は入ってみたいと思っていた穴子すしの「乃池」に行く。 「やわらかいので、 気を付けてください」と出された「穴子すし」、とろりと口の中でとける。 江 戸前の穴子にこだわった、名代という看板に恥じない絶品だった。 まぐろ(だ と思う)一切れと大根とネギだけの、澄まし汁もよかった。

 「いせ辰」本店を覗いて、早くもお年賀の手ぬぐいを仕入れた後、再びべび 道からよみせ通り商店街へ行く。 ここから谷中銀座商店街にかけては、たい へんな人出だ。 テレビに出ましたという看板が多い。 これだけ人が出れば、 よい商売になるだろう。 夕やけだんだんから、御殿坂を通り、日暮里に出て 帰宅した。

井上荒野さんの『キャベツ炒めに捧ぐ』2011/11/09 04:20

 穴子つながりである。 明石の知り合いから、焼き穴子を沢山送ってきたの でと、お裾分けにもらった。 どう料理するか、という話が井上荒野さんの『キ ャベツ炒めに捧ぐ』(角川春樹事務所)に出て来る。 2008年に『切羽へ』で直 木賞を取ったこの人、『ひどい感じ 父・井上光晴』という本がある。 焼き穴 子は、茶碗蒸しもいいし、うざくみたいにしてもいいし、ちらし寿司もいい。  中華風の薬膳に、一口大に切って、軽く片栗粉をつけて揚げてから煮込むのも あるらしい。

 東京の私鉄沿線の、各駅停車しか停まらない小さな町にある「ここ家」とい うお惣菜屋さんの話である。 六十代の三人の女性が働いている。 十一篇が それぞれ、主人公を変えていきながら、別の視点から描く構成が巧みだ。 雑 誌連載時の季節に合わせて、旬の食べ物があり、物語がある。 今は各々一人 暮ししている三人だが、六十代ともなれば、それまでの人生にいろいろなこと があった。 人間、どんなつらい時でも、食べないわけにはいかない。 早い 話が、家族が死んでも、まず考えるのは、集まった人が何を食べるかだ。

 時に登場する惣菜屋のメニューの一部が、美味しそうだ。 「たたきキュウ リと烏賊と松の実のピリカラ和え」、「昆布と干し椎茸のうま煮」、「ロール白菜」 (鶏と豚の合挽を白菜で巻いて、中華風のクリームスープで煮込んだもの)、「新 じゃがと粗挽きソーセージのにんにく炒め」、「水菜と烏賊のサラダ」、「牛すじ 大根」、「牡蠣フライ」、「あさりフライ」、本日の味つきごはん「じゃこ入り大根 菜めし」。

関東で「がんもどき」、西のほうでいう「ひろうす」(飛竜頭)の作り方も、出 て来る。 じゅうぶんに水切りした木綿豆腐を、すり鉢でむにむにと潰し、刻 んでおいた海老と椎茸を混ぜ込む。 続いてゆり根を入れ、塩少々と黒ごまも 加え、ゆり根が崩れないようざっくり混ぜて、丸めて揚げる。

松沢弘陽さんの講演「『福翁自伝』を読みなおす」序論2011/11/10 04:19

 10月29日、三田の演説館で松沢弘陽(ひろあき)さんの「『福翁自伝』を読み なおす―私にとっての福澤諭吉」という講演会があった。 松沢さんは前国際 基督教大学教授、北海道大学名誉教授で、今年の2月岩波書店「新日本古典文 学大系 明治編」の一冊として刊行された『福沢諭吉集』(実は『福翁自伝』だ けの収録)の校注を担当された。

 この本、私はまだ入手しておらず、未読だが、9月に出た『福澤手帖』150 号の、竹田行之さんの「松沢弘陽校注『福沢諭吉集』を読む」によると、『福翁 自伝』の本文を上段に、脚注を下段においたのが380頁、補注が90頁、年譜 のあとに、解説19頁で構成されている。 全編にわたり事に当って徹底して やまずの校訂注解が施されているという。 脚注で挙げられた項目は1340点 に近く、人名、地名、組織名、制度や風俗、事件と歴史的背景が説明され、語 釈から語法の注意点、テクストの構成、その他解釈上参考となる事がらがとり あげられているそうだ。 補注の項目は160、大項目、中項目、岩波新書一冊 半に相当する分量で、福沢諭吉小事典の重宝さに加え、豊かな果実が盛り込ま れているという。 解説は「「自伝」の始造」と題され、「独立という物語」と いうサブタイトルがついている。

 講演で、松沢さんは、『福翁自伝』注解の難行について、こう話した。 一応 の目算はあったのだけれど、いざ始めてみると、本当の所、よくわかっていな かったことに気付いた。 驕りと、勉強不足があった。 それで、一時落ち込 んだ。 福沢は手強い相手だった。 (1)歴史的背景を調べた。 先行研究、河 北展生・佐志傳著『「福翁自伝」の研究』(慶應義塾大学出版会)の、極めて豊 かな業績が参考になった。 さまざまな方が、情報を提供してくれた。  (2)福沢のテキストをどう読むか。 福沢のそれは厚みを持っていて、重層的である。 表面の明るさの下に、別のメッセージが込められている。 その点 で、後に述べる松崎欣一氏・竹田行之氏の示唆、新しい視点があって、何とか 乗り越えることができた。