扇辰の「お血脈」 ― 2012/04/01 04:16
扇辰、「お血脈」は“地噺”だという。 “地噺”は「主に地の文で展開され る噺」(長井好弘さんの解説)だから、何でもありだ。 二ッ目勉強会で、同じ く“地噺”の「目黒のさんま」を演じたら、他の人には細かく指示していた志 ん朝に、ただ「“地噺”は好きにやって下さい」と言われた。 そういうものだ ということを教わった、と言う。
世間に信用がなく、一人気違いか、といわれることもある落語だが、進歩的 なことがあった。 女性を褒めたことだ。 みんな女のハラから出た。 女性 を悪く言ったのは、お釈迦様、「外面如菩薩、内面如夜叉」と言った。 苦情が あったら、インド政府へ。
3年3月99日母の胎内にいたお釈迦様の誕生秘話(こういうのが得意な圓太 郎のやったのが、2009.7.29.の日記にある)。 成長したお釈迦様が親友の阿弥 陀様とスターバックスで相談して布教に乗り出す、月曜日で床屋が休み、ヨー カ堂で買ったカミソリがあったから、お釈迦様がジョリジョリ、痛い! 阿弥陀 が出た、シャカゾリだ。 阿弥陀様、百済から閻浮檀金(えんぶだこん・プラ チナ)で一寸八分の分身をつくり日本へ。 守屋大臣(もりやのおとど・物部守 屋)が、「プラチナ奴」と潰そうとしたが、どうしても潰れない、難波ヶ池(今の 阿弥陀ヶ池)に放り込む。 本田善光が「ヨチミッツ」と呼ばれ、ピカーッと光 るものを発見する。 仏様は一寸八分だから、舌が回らない…、こういうリア ルな落語は白鳥にはできない。 信州にまかりこしたいというので、背に負っ て信州へ。 一寸八分をなぜ背に負うかといえば、夜になると丈余(高座が陽気 で、楽屋が陰気な円丈の丈)に姿を変じて、善光を背に負って歩いてくれた。 昼 は小さくて、夜は大きくなる、仏にあるまじき行為。 こうして出来たのが善 光寺。 この教養あふれる噺、一時間目は終わり。
善光寺のお血脈の御印、わずか百疋でみんな極楽へ。 困ったのが地獄、財 政破綻して、閻魔大王の支持率は13%、事業仕分けで、針山地獄は草月流に、 血の池地獄はアサヒペイント(以前、デルモンテとカゴメでやっていたら、苦情 が来た)に、浄玻璃の鏡は捜査当局に、AIJとのりピーの弟が写っていた、赤鬼 は花やしきでアルバイト。 お血脈の御印を盗み出す人材に事欠かない地獄、 最適任の石川五右衛門は釜風呂にいて、「扇辰がいいねと君に言ったから3月 20日は落語記念日」と、訳がわからない。 伊賀の忍術で、長野へ、昼間は名 物の蕎麦など食い、夜陰に乗じて善光寺に忍び込み、ついに違い棚にブツを発 見、芝居っ気たっぷりに、気取り始めた。
志ん輔の「黄金餅」 ― 2012/04/02 04:47
志ん輔は、浅草演芸ホールの斜向いに立ち食いソバ屋があり、牛丼屋のA、 B、Cがあると、切り出す。 牛丼屋は競争して、どんどん値下げをする。 280 円の牛丼、食べていると、いいのかしら、と思う。 天玉ソバが480円、飯と 肉で280円。 どっちがいいかと、真剣に悩む。 きっと無理をしてるに違い ない、いけないぞ。 自分でもらうお金、ギャラは沢山欲しい、でも、出す方 は少なくしたい。 こういう料簡が、いやだ、と思う。 それで、あくる日に なると、どこが一番安いんだろう、と探している。
下谷の山崎町に西念という坊主がいた。 「なんまいだぶ」と唱えて、もら って歩く、この家は法華だと思えば頭陀袋をひっくり返すと「南無妙法蓮華経」、 背中には十字架。 その西念がどっと患いついて、隣家の金山寺味噌屋の金兵 衛が様子を見に行き、見舞いにあんころ餅を二朱も買わされる。 覗いている と、胴巻をこいて出てきた二分金と一分銀の山を、餅にくるむと、呑み込んで、 ニッコリ笑ってポックリ死んだ。 金兵衛、大家の所へ行き、西念が死ぬ間際 に、金兵衛の寺に葬ってくれと頼んだ、と言う。 井戸端に干してあった菜漬 の樽に、仏様を入れたが、大家のだったので、洗って返すよ。 いらないよ。 これから出れば、明け方近く帰れると、長屋の連中、弓張提灯、盆提灯、赤い ○に酒の提灯を提げて、麻布絶口釜無村木蓮寺へ、ラッショイ、ワッショイ。
下谷の山崎町を出まして、上野の山下、三枚橋から上野広小路、御成街道か ら五軒町へ出て、その頃、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっつぐに、筋違 御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出て、新石町から鍛冶町、今川橋 から本白金町、石町へ出て、日本橋を渡りまして、通四丁目、京橋を渡り、ま っすぐに新橋を右に切れまして、土橋から久保町、新し橋の通りをまっつぐに、 愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から飯倉六丁目へ出て、坂 を上がって飯倉片町、その頃、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻 布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村の木 蓮寺へ来たときには、みんなずいぶん、くーたびーれた。
茶碗酒をやっている和尚と、百か日仕切、天保銭六枚で交渉、みんな売っ払 って何もない木蓮寺、和尚は麻の大きな風呂敷の真中に穴を明けたのに首を通 し、ホオズキの化け物のよう、ハタキを持ち、茶碗を叩いて、煙草の粉を香が わりに、経を読む。 「新内だよ、それ」で、キンギョー、キンギョー、セコ キンギョ、チーン。 とらがなく、とらがなく、虎が鳴いては大変だ、犬の子 は、チーン。 汝、元来ヒョットコの如し、君と別れて松原行けば、松の露や ら涙やら、アジャラカモクレン、キューライツ、テケレッツのパ。 焼場の切手をもらい、夜も更けて、桐ケ谷の焼場へ。 遺言だから、腹のあ たりを生焼けにしてくれと頼む。
考えてみれば、ごく陰惨な噺なのに、志ん生、志ん朝とつないだ、そうは感 じさせない明るい流れは、志ん輔にも見事に引き継がれている。
小さん「親子酒」のマクラ ― 2012/04/03 03:59
六代目小さんを襲名して、もう5年半、64歳、最近は独演会で古典落語を二 席つなげる試み「一席二噺」をしているそうだ。 例えば「時そば」のそば屋 が転業して「うどん屋」になる「二割五分」、「目黒のさんま」と「松曳き」を 合体して「赤井御門守二席」。(3月22日朝日新聞夕刊)
花が咲くと、花見酒の旨い季節になる。 梅雨が明けて、あの生ビールが旨 い。 月見酒、これも旨い。 冬場、鍋をつつきながらの熱燗、これもまた旨 い。 早い話が、年中旨い。 一門では、会長(小三治)はほとんど飲まない、 前会長の馬風も、今は薄めてなんて軟弱、小満んも飲む相手がいなくなって止 めた。 さん喬は飲むけれど、女とじゃなきゃ飲まない、あれはそういう性格。 ウチの花緑は飲まない、これという趣味もない、博打もしない、何のために噺 家になったのか。 私も日本酒をいやいや飲んでいたら、親父が「ハキハキ飲 むんだ」と。 稽古して、稽古して(噺の稽古じゃない)、電信柱につかまって いたら、「ハキハキが違うんだ」と。
親父は三十で、真打になってから飲み始め、七十で、剣道を少しでも長くや りたいから、止めた。 剣道の予定をまず入れて、仕事を入れる。 先代の文 楽が、どっちが大事なんだと聞いたら、「剣道です」、がっかりしていた。 食 べながら、飲む。 よく食べたんですよ。 中華料理、頼むだけ頼む、弟子は みんな泣きながら食べてた。 懐石は駄目、お姐さんが引っ込むまでの間に、 食べちゃう。 いっしょに旅に行った、宿屋の朝ご飯を五杯食べて、冬の青森 ですよ、駅まで散歩しようと言う、幟に「うどん」とある。 間抜けなうどん 屋で、朝からやっている。 カケなんかじゃなくて、天婦羅うどん。 それを 食いながら、昼飯何にしようか、と言う。 最期の最期まで食べてた。 その 前日、目白の寿司屋の、好きなちらしを食べて、あくる日死んだ。 明日は、 いなり寿司が食いてえな、と姉に言ったと、小三治が姉に聞いた。 それが唯 一の心残り。
先代の馬生に、つきあったことがあるが、ほとんど食べない、何軒か回って 二日酔いになった。 談志も食べない(しみったれで)、飲むだけ。 レモンを 一個揉んで、吸って、飲む、変な飲み方。 ギンナンは食べる、聞いたら「イ チョウによくなる」。
地元で飲む、住んでいる所が遠いから、車で帰るとえれーことになる、教え ませんよ。 とりあえずは東京なんでしょ、と言われて、言わないことにした。 地元のスナックで、男が一人飲んでいたら、女の子が入って来た。 声をかけ ようとすると、あれは女の子じゃないんだよ。 いいよ、俺も男じゃない。
よく子供が生まれると、大きくなったらこいつと飲みてえなんて言う。 ど うなんでしょうねえ、いざ飲むと、そんな面白いもんじゃない。 ウチは師弟 関係でもあったし…。
「親子酒」の本体は、略す。
小三治「茶の湯」のマクラ ― 2012/04/04 04:34
トリの小三治が上がった時は、8時40分になっていた。 長いマクラの時間 はない。 困ったような小三治、こんなに目が細かったか、目をつぶっている ようにさえ見える。 大震災以来、「上を向いて歩こう」をよく聞く。 永六輔 作詞、俳句会で一緒になったので、作詞料がたくさん入るでしょうと聞くと、 作詞権を放り出したんで、一銭ももらっていないという。 坂本九が歌って大 ヒットした時も、もらっていない。 坂本九が、スキヤキソングが流行りアメ リカへ行って、落語をやったという。 「向うの家に囲いが出来たよ」「ヘェー」、 やんやの喝采だった、という。 アメリカの文化の低さだ。 何て通訳したの か。 私なら「向うの家にディフェンスが出来たよ」「WAR!(ウォー)」とやる。 50歳で、アメリカに語学留学した、教養が邪魔して…。
戦後、進駐軍が便利な場所にある両国の国技館(メモリアル・ホールと言って いた…馬場)を使っていて、大相撲はずいぶんしばらく蔵前でやっていた。 昭 和21年に小学校に入った私(小三治)などは、蔵前の国技館だった。 蔵前は、 蔵の前、江戸幕府の経済の中心地、江戸城の蔵があった。 米、船、武器の蔵。 深川の芸者が隆盛を極めたのも、そのせいで、蔵前には信用ある商店が並んで いた。
小三治「茶の湯」の本体(上) ― 2012/04/05 04:54
その蔵前で、仕事、仕事の毎日だった大きな店の旦那が、根岸の里に、孫店(だ な)の三軒長屋が付いた、ほどほどの隠居所を持った。 貞吉という気に入りの 小僧と引越をする。 貞吉が周りを見て来ると、隣のお嬢さんはお花を、裏の お嬢さんは爪をつけて、琴をひっかいている、お爺さんは盆栽をいじっている。 「茶室があるし」、お菓子が出るから、「茶の湯をやりましょうよ、真似事ぐら いは出来ますよね」と、貞吉。 隠居は、ごく小さい時にやったから、忘れた、 という。 ごく小さい時って、赤ん坊の時ですか、と貞吉はひっかかる。 知 らない、忘れた、全部忘れた。 あの青い粉が何か、わからない。 貞吉が知 っていると、買いに行く。 行って来ました、角の乾物屋で、青ぎな粉。 そ うそう、思い出したよ、と隠居。
台所から消壺を持って来て、ガバガバと火を熾す。 茶の湯なんだか、さざ えの壺焼きなんだか、わからない。 口のでかい茶碗、柄の長い「ひしゃく」 は、そばだと火傷するから、「雑巾」は絹で出来てる、「耳かき」の親方、先が かじかんでいる「お茶ぼうき」。 かき回しても、泡が出ない。 貞吉がアブク の出る薬を、買いに行く。 買ってきました、椋(むく)の皮です。 羽根突き の玉は、このムクロジの実。 隠居が、椋の皮を釜の中に入れたから、釜から 泡がブクブク。 飲みなさい。 ご隠居から。 お前が客だ。 飲み方を教え て下さい。 それは秘中の秘だ。 まず、グラングラングランと三度回す、ア ブクを向こう岸に吹き付ける。 「風流だなあ」と、一口飲む、うーん、ウー(貞 吉、手を振る)。 うがいをしてはいかん、早く飲み込みな。
「風流だなあ」「風流だなあ」と言いながら、二人で朝昼晩「茶の湯」をやっ ていたら、三、四日で、二人ともおナカが下る、顔色がよくない。 昨夜は、 十三たびハバカリに行った、お前は? 私は、一度入ったきり、出て来られま せんでした。 おしめの乾いたのはないか、雨の降る日は「茶の湯」は休みだ。
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